2021/12/25

らしくないこと

 頂いたIKEAのエプロンを付けて、マドンナを聴きながら、鍋を作ったのはいつの日か。らしくないことも、違う人生を生きてるようで、たまにはいいものです。

クリスマスは忙しく、さっき画廊に行って、作品を納品して来て、ケーキをご馳走になりました。来年はアートスペース羅針盤さんのグループ展から展示をスタートさせます。

私は成長したでしょうか、ネットのみのお知らせになりますが、どうぞご覧ください。

これからヘンリーミラーのプリント作品を喫茶店に展示する作業をしてきます。

メリークリスマス

楽しい年末をお過ごしください。

2021/10/22

楽しみに思う

 また子どもの頃の話を書いてしまいます。

家には組み立て式の滑り台があって、ある時期までは家の中で、ある時からは、庭の芝生の所に、祖父がその滑り台を設置してくれて、遊んでいました。小さくても家に滑り台があるのは、気分の上がることでした。組み立て式なので、滑り台はいつの間にか祖父によってしまわれていることもしばしばでした。

ある夜、布団に入って寝ようかという時に、

「そうだ、明日は滑り台であそぼう、おじいちゃんに滑り台を出してもらおう」と、ふと思い付き、枕元に置いていたメモ帳に覚えたての字で「すべりだい」と書いて、それはそれはワクワクとした気持ちで、明日の滑り台のことを思いながら、しあわせな気分で眠りにつきました。

その翌日、滑り台で遊んだかどうかは…さっぱり記憶が無いのですが、

つい昨夜、制作していて、「明日はどう筆を入れていこう…楽しみだ」と、煮詰まっている作品にもかかわらず、明日の制作を楽しみにするじぶんに気付き、ちょっとそれが嬉しかったのです。制作を素直に楽しみに思えるのだ…それでふと、翌日の滑り台を楽しみにした幼少の時を思い出しました。

夜更かしして制作するのは躊躇われ、筆を置き、床につき目を閉じて、仕上がっていく作品を想像しながら、ほんの少ししあわせな気分で眠りにつきました。




2021/10/19

幻想のわたくし

 じぶん自身のイメージさえ、幻想かも知れない。

この大きな舞台で、何者かを演じるわたくし。

演劇性から滲む真実。虚と実。

けど、どちらがどちらか、じつはわからない。

子どもと大人

 祖母は小さい私の手をひいて、親戚の営むスーパーマーケットに時々連れて行ってくれた。私はそこで、覚えたてのお菓子「梅味のガム」を買ってもらえるのが楽しみだった。

ある日、その店の店主であるおじさんが買い物中の祖母と私に「いらっしゃい」などと声をかけてきて、店で売られていた車を模したオモチャを私に見せて、「好きなのを持っていっていいよ」と言った。祖母は、そんなことをしてくれるなと激しく遠慮したが、店主のおじさんは「いいから、いいから」と私に車のオモチャを勧めた。私は車のオモチャを欲しいと思わなかったが、店主のおじさんの「期待」の様な圧を感じ、「これ」と適当なものを指さして、その車のオモチャをもらった。

3才か4才の子どもの時分である。店主のおじさんの「喜ぶだろう」という期待を一身に感じ、その期待に応えた。「いらない」とは言わなかった。

子どもは正直、というのは大人の幻想だ。

大人に嫌われないように、大人の気分を害さぬように、懸命に振る舞ってみせることもある。

もし、じつの父や母に、幼少の時からこんな気の使い方してたら、それは地獄の始まりだ…

家に帰って、幼少の私はその車のオモチャで遊んだ。面白くはなかった。車酔いの激しかった私は車は好きではなかった。それでも遊んだ。その時の戸惑い気持ちは、何故か今でもありありと覚えている。

あの時の「正直な気持ちを抑える感覚」は、大人になっても残っている。

大げさに言えば「正直さが許されないような空気」は、日常的にどこにでもあるし、当時その店主は、来店した親戚の私たちに心からのサービスをしてくれただけで、悪意なんてイチミリも無かった。そこにじわりとコワさを感じる。

気の強い子なら、「くるま、きらい」と言えたかも知れない。おとなしい内弁慶の小さなわたしには、「ノーサンキュー」を言う発想は無く、大人の作った場の空気に流されるだけだった。

これは、幼少時の「ちょっとしたエピソード」だけれど、すごく大事な感覚だから書きとめておこうと思う。


2021/10/17

皇居近く

 東京ステーションギャラリーに行く前に、皇居近くを散歩しました。先輩に聞いた話では大手町辺りは大変なパワースポット?らしく、たしかに銀座の街中よりずっと清々しく感じられました。

日本中で姫君の結婚の行方が案じられ、私も関心を持つひとりです。その壮大なドラマの現場近くは、穏やかで清々しく、雲間から光が降り注いでいました。

次回はたっぷり時間を作ってゆっくり歩いてみたいと思いました。


銀座物語

 時々ですが、京橋の画廊羅針盤さんで手伝いをしています。それで時々、東京駅から銀座辺りをおつかいがてら歩いたりします。

先日、久々に銀座を歩いたら、何故か海外に来た様な奇妙な気分になりました。おしゃれなドでかいビルが奇妙に見え、何か違和感を覚えました。例えるなら、お芝居のセットの様です。私は台本を忘れてきてしまった役者のような心細さで歩きました。これまで感じたことのない感覚でした。

高級店が並ぶ街中を歩きながら、不用意に劣等感を刺激され、エネルギーを消耗しているのを感じました。

私は、ブランドの服で全身を固める知人を思い出していました。私はその知人に対して常々感じていた感情が、劣等感であったことにふと気付きました。

私はこの拭えぬような不快感に、長年悩まされていました。

その知人の、甲冑のような服の着こなしは、全く中身に見合わず滑稽に見えて、浅ましく、内心軽蔑さえしていました。人生かけて虚勢を張っているのがあからさまに伝わってきました。と同時に、ある種の羨ましさと劣等感を覚えるという複雑な感情を持っていました。

長年会っていない、これからも会うことは無いであろう知人に、こんな複雑な感情を持ち続けるなんて、まったくどうかしています。

もうウンザリするほどじゅうぶん味わった、

いい加減に断ち切ろう…小さく決意しました。


結局は、いつもの古い喫茶店にたどり着き、ここがいちばん落ち着く…とひと息つきました。新しい店を開拓するなどの冒険をしないことに失望しつつも、結局は気楽さを選択していることに気付きました。結局のところ、私は気楽で居たいのだな、と思い、柔らかい綿の肌着をまとうような気持ちで、コーヒーをすすりました。

…あの「甲冑の知人」は、「私の中にいる偽物」の象徴なんじゃないか。首根っこを掴んだところで、次の場所に向かいました。




2021/10/15

崖のふち

 わたくしのフィルターを通してでしか、この世界をみることはできない、

そんなことを考えていたら、とてつもなく恐ろしい気分になりました。

私は「この世界」を把握しているのだろうか…

私の生きる小さな世界で物事を推し測り、判断し、小さくまとまり…

逃がれられない何かを感じながらも、このわたくしを生きるしかない、

崖のふちにいるような気分です。

免罪符

 画家だから、

ということを様々な場面で免罪符にしていて、我ながらズルいな、と思います。

服を買うにも、コーヒーを飲むにも、

怒りを爆発させる時も。

あらゆる場面で。


画家だから許してください。

遠くの私はいつもそれを眺めています。

早いが今年を振り返る

 2021年は、1月に「寄り道」としての個展を開催しました。花魁とかむろの日常をテーマにした、水彩と色鉛筆による紙作品の展示でした。これは私にとってイレギュラーの展示でした。

そして、6月か7月に予定していたタブローの個展は開催しませんでした。そのことが一番きつかったです。

制作しているのに、発表出来ないつらさ…けれど、開催しないことを選択したのは私本人でした。

理由は、その画廊で個展をすることに、心が動かなくなっていたからです。これはもうだめだ、と思いました。ウソは付けませんでした。

私としてはかなり思い切った選択でした。

展示は作家の生命線ですから。

心が動かぬまま作品だけ預ければ、私は間違いなく、じぶんを軽蔑し、作家としての根っこが腐っていくような感覚に耐えられなかっただろうと…大げさではなく思います。

画廊さんには迷惑をかけてしまいましたが、画廊さんも薄々何かを感じていたのだと思います。

そんな時に渡りに船だったのか、安曇野の画廊さんからグループ展の話を頂いていたので、グループ展にちからを注ぐことにしました。個展が出来るくらいの作品を制作し、そこから9点選び発表しました。

安曇野では初の展示でしたので、代表作になりえるタブロー作品と、今までなら却下されるであろう作品を送りました。

安曇野の画廊は、雑誌の表紙絵を長年に渡り担当されている画家の成瀬さんがオーナーで、作品について助言を頂くことが出来ました。それはとても新鮮で、頭の中に、つつつ…と風が通るようでした。

本気で臨んだら、本気が伝わった。逆も然り。これはとても良い経験でした。

ちいさな大冒険ではありますが、私なりに清々しい気持ちがありました。

こうやって描いて行けばいいんだという手ごたえがありました。

今は、来春の個展に向けて、制作していて、とても有り難く思います。

わーっと、胸がスッとするような作品が描けたら最高です。

一見、コロナで足止めを食らったかのようで、じつは見詰めなければならない問題があぶり出されたような年でした。

くすぶっていることは、自ずと明るみになり、無視出来ないものだと痛感しています。

2021/10/13

映える

 サザコーヒーで抹茶カフェラテのホットを注文しました。いつもはブラックコーヒーですが、その日は何故か抹茶に目が行き、注文しました。

しばらくして運ばれてきた抹茶ラテを見て、私は思わず「え、すごい、これどうやって頂くんですか⁈」と店員さんに聴いてしまいました。

抹茶カフェラテは、大きな陶器の器に入っていて、例えるなら、これはけんちん汁をよそう時にちょうどいい器です。しかも、何とも可愛らしいクマの様なラテアートが施してあるではありませんか。

まさに映え。これぞ映え。

どうぞ撮ってくださいと言わんばかりの出立ちです。

店員さんは、そのままお召し上がりください、微糖になっております、と教えてくれました。

この可愛らしいクマの抹茶ラテを画像に撮って、Instagramにあげれば、私もいっぱしのインスタグラマーに成れるだろうに、私はそれをせずに「グニャリ」と、クマの顔を先ずは縦に混ぜ、タヌキのような妖怪のような画になって、もう一度「グニャリ」と今度は円を描くように混ぜ、もう何者でもなくなったのをまじまじと見て、飲み方これでいいのかな…と少し恐れながら、普通に飲み干しました。

Instagramやってます。

過去作から近作まで載せています。

よかったらのぞいてみてください。


ダンサー

 不思議なのですが、10代の頃に、何故かダンサーになりたいと思った時期がありました。

踊れないのにダンサー。正確には、ダンスを習いたい、だったのかも知れません。

20代、社会人になってからは、40代くらいになって時間ができたら、ベリーダンスを習いたい、と思っていました。

今その年齢になってみたら、時間はないし、例え時間があったとしても制作するか整体に行きたい。

本当にダンスしたかったら、時間が無くても踊るよな…

ユーチューブで、たまたま「ダンス甲子園」の映像を観て、やっぱりダンスする人たちに憧れるのでした。


そうは言っても日常

 目の前の作品を一点一点仕上げていこう、

当たり前のことですが、そういう地に足のついた考えが抜けて、大きなことをしようとする、困ったものです。


2021/10/08

デジタルチケット

 東京都現代美術館に行ってきました。

美術館に向かう木場公園の、あの大きな橋を渡る時は、今だに気分が上がります。

開催中の横尾忠則さんの展示は、とても人気の様で混んでいました。

情報量が多くて、消化し切れず、大げさでなく倒れそうになりました。

そして絵が上手い、絵の具の使い方からとても上手いと感じます。(この上手い、のニュアンス…伝わり難いですよね…毎日油彩をいじっている身として、本当に上手い人の絵を観ると、上手いなぁ!って感嘆してしまいます)

驚いたのは、横尾さんはうちの義父より年齢が上ということ…ウチの義父は生活において天才性を発揮し家族を翻弄させてくれますが、何か破茶滅茶な、通じるものを感じ、この世代独特のエネルギーかも?とも思いました。

(ほんと、浅い感想で…あしからず。)


それにしてもデジタルチケット。

スマホの電源が切れないかヒヤヒヤでした。


2021/10/07

人生の連立方程式

 人生が豪華二本立ての連立方程式なら、

画家としての人生と、心理学を深く学ぶ人生で、解を導き出したいと思います。

ひとを描くことと、心理について掘り下げること。

この解のヒントは…おそらく、

「ひとって愛おしいもんだよね、」という感慨です。

私はその視点を持って、ひとを描きたいと思います。


2021/10/06

渦中のひと

 

渦中にいると、客観性を失うものです。

そういう時は、違う視点を持つことが大事です。

生まれた時から、私は「わたくし」の渦中にありますので、

実の所、私は私が分からないでいます。

なぜ、繰り返し描き続けているのか?

私の作品の本質は何なのだろう…?など。

私は何を描いていると思う?

今さらながら、私自身への問い直しです。


我々は何者か?

ゴーギャンの問いがリアルに迫ってきます。

無意識を意識化するとき、わたくしの本質が見えてきます。

それは、都合の良くない場合もありますので、

何かとフタをしておきたいものなのです。





治ってしまう

 今年の春から飲み始めていた漢方薬がよく効いてくれて、日々の体調が良くなってきました。

治ってきた、有り難いなあ…!と思う反面、

(あぁ、もう、言い訳に使えないんだな)と

内心、心細く感じているじぶんもいました。


体調不良は、何かしら言い訳に出来ます。

信じがたいことですが、病気はメリットにもなっていました。

もっと白状しますと、私は「何か」を表現するために「病気」を利用したフシがありました。

(そう、こういう事は、しっぽり呑みながら話す内容です…)

ひとの心理の奥深さに感嘆します。

まるで心が宇宙に繋がっているような壮大なイメージです。

故に私は、「ひと」を描きたいと思うのです。







2021/10/05

身体感覚

 緊急事態宣言が明けて、流石に気が緩んでおります。

ワクチンの副反応はひどいもので、身体が何者かに乗っ取られたのではと錯覚するほどのツラい思いでしたから、それが抜けた時の開放感は、背中に羽が生えたような心持ちでした。

先日は久々に大きなショッピングモールを歩いてみましたが、まるで異国…違う星に来てしまったような感覚で、BGMに急かされ、物欲が刺激され、少し疲れました。消費、消費…とにかく私たちは消費せずにはいられないのだなぁと、疲れた頭でぼんやり考えました。

知り合いのお寿司屋さんに行き、身体が海になる…と錯覚するほど、美味しい海の幸を頂きました。海の記憶を内包する素材を頂けば、そう感じるのは必然で、私は普段くちにする食べ物について、やはり、ぼんやり考えました。

乗っ取られたり、羽が生えたり、海になったり…様々な身体感覚を味わう秋の始まりです。









2021/07/30

作品の変容時期まとめ

 

作品の変容時期をまとめました


【season 1】

1999’

初期

文化学院在学中に、銀座奥野ビルにあるギャラリー巷房にて初個展、作家活動をスタートさせる。

同年、デイケア施設のシャッター壁画などの制作を手がける。後に施設とのコラボ展など開催。


【season 2】

2000’-2007’

羅針盤時代、私ベリー走る

京橋のアートスペース羅針盤で発表を始める。

ひと、動物、半抽象表現など、様々なモチーフを油彩で描く。

次第に人物、少女にモチーフが絞られていく。

木炭画を描き始める。


【season 3】

2008’-2013’

空想する少女たちへ

2008年より、

ギャラリー椿(中央区京橋)、

画廊アートアイガ(中央区八丁目)

の企画画廊で作品を発表し始める。

木炭と少量の油彩で、モチーフを少女に絞り描く。


【season 4】

2014’-2018’

描画、踊る子ども

キャンバスに絵の具で細やかに描画するスタイルへ。

こどもの心情などをテーマに描くようになる。


【season 5】

2018’-2021’現在

絵画するわたくし

筆の運びや、絵の具の自然な表情を生かす絵画へ。

支持体はパネルと綿布に変更。

油彩で、にじみや筆跡を残す描き方へ。

2008年頃の作風を進化させたような表現へ。

「絵の具自ら絵画になっていく感覚」を大事に

絵画することを意識。


【other 】

2004’-2018’

木炭画編

木炭によるドローイング作品。

アートアイガでは、木炭画のみの個展を開催。

木炭の表現を油彩に生かしていく。


2014’

なお子spring!編

鉛筆や水彩による、小品のドローイングシリーズ。

「身体」「性」「子ども」などをテーマに描く。

イレギュラーな作品の位置付けであったので

作家名を「なお子spring 」とし、

限定的に発表した。



2021’

寄り道編

浮世絵や史実を元に創作した

「おいらんとかむろの物語」の連作。

紙に水彩、色鉛筆などを使用。

イレギュラーな表現シリーズのため、

作家名を「門倉直子の寄り道」とした。


2022’

絵画する喜び、成長と後退の葛藤、

ひとの心理と表情をテーマに制作。

大作に取り組む。


2023’

ひみつの部屋で光輝け


アクリル絵の具、キャンバスを使用。

100号を制作。



つづく

2021/07/28

コントラスト

 安曇野市の画廊バナナムーンで開催されました

グループ展は、無事終了いたしました。

ご来場の皆様、気にかけてくださった皆様、

画廊の皆様に、感謝申し上げます。

誠にありがとうございました。

今まで、主に東京で発表しておりましたので、

安曇野という自然の多い観光地では、

作品がどう存在するか、

お客さんの眼にどう映るか、

通用しないかも…などと、

考えていましたが、

フタを開けてみれば、

私の気合いはちゃんと伝わっていました。

いつも東京の画廊に来てくださるお客さんには

場所が遠くなってしまい、来廊しにくく、

申し訳なく思います。

来春は東京での個展を予定しております。

こっそりネットストアでも作品をご紹介しております。

どうぞよろしくお願いします。


オリンピック。

選手の戦いっぷりを観たら、もう。

うその無い、生き生きとした表情を観たら、

応援せずにはいられません。

しかしながら、コロナの感染者が増え、

喜ばしいニュースと不安になるニュースが交互に飛び交い、心の置き所に困惑します。

この強烈なコントラストを私たちは目の当たりにしているわけですが、

さあどうする?と、あらゆる事について、

ずっと何者かに問われている感じがします。

それは、居心地の良いものではありませんが、

どこかで落とし所を見つけねばなりません。

アスリートの方々は、この日のために

長い年月、準備をしてこられた。

その日々の練習の積み重ねや葛藤は

選手の表情が物語ります。

ネガティブな情報が蔓延していなければ、

私はここまで選手に注目していませんでした。

純度の高い選手たちのエネルギーと

ネガティブな情報とのコントラストが強いほどに

私は選手たちの情熱を応援したくなってしまいます。












2021/07/20

リーフレットが出来ました

 刷り直しを経て、まずまずの仕上がりです。

簡単なリーフレットを作成しました。

今期、作品をお求めくださったお客さんや、

これまで何点か作品を所有してくださっている

コレクターの方に差し上げる予定です。

今年は東京でメイン作品を発表する機会が無く、

せめてリーフレットをと思い作成しました。

作品は良い出来なので、東京でも発表したかったです。

ちょっと悔しい。

来春は東京で個展です。

引き続き制作に励みます。

どうぞよろしくお願い申し上げます。





2021/07/17

貴重な過去作品

 エゴサーチしていましたら、

貴重な過去作品を見つけました。















謎の動物』というタイトル。

8号の油彩です。

転売されているようですが、

これはかなり、我ながら良い出来です。

所有してくださっている方、おめでとうございます。


ありがとうございます。












2021/06/21

安曇野に行って来ました


画廊バナナムーン(長野県安曇野市穂高3613-32)

で開催中のグループ展を観に行きました。

門倉は新作を9作品、展示して頂いております。


ぜひ観光とセットで、お蕎麦や温泉を楽しみつつ、お立ち寄り頂ければ幸いてす。

すでにご来場のお客様、ありがとうございます。

遠方から御足労くださいまして、誠に有難う存じます。



どうぞよろしくお願いいたします。








2021/05/24

安曇野のグループ展に寄せて

 



作品を発表するその土地や場所、

関わる人々、あらゆる影響を受けて、

作品を描きます。

今回は特にそれを切実に感じながら制作しました。

安曇野では、初めて作品を展示します。

どうぞよろしくお願いします。


2021’5月  門倉直子

(グループ展についてのコメント)

2021/05/22

グループ展に出品します

 

長野県安曇野市の画廊Banana Moonで開催されるグループ展に参加、出品いたします。














2021’6.4(金)ー7.25(日)

13:00-17:00

金、土、日のみ開廊


【画廊Banana Moon 】

〒399-8301

長野県安曇野市穂高有明3613-32

090-4819-9878(バナナムーン事務局)

gallerybananamoon@gmail.com













開廊日時にご注意ください。

作品は門倉のTwitter、Instagramでも

ご紹介いたします。

作品のご予約、お問い合わせは、

画廊Banana Moon

 gallerybananamoon@gmail.com


または門倉

naokadokura27@hotmail.com

までよろしくお願いいたします。








2021/05/09

作品について(2021年)

 (作品コンセプト 2021年)


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ひとが無意識に醸し出すその表情に、

真実が表れます。

私はその表情のいくつかをとらえ、

絵画していきます。


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恨めしげ、戸惑い、哀しみ…

一見無表情に見えたあの表情こそ、

あの人の本心だったのではないか。

あの表情にあの人の本心が表現されていた。

その奇妙な体験は、私がひとの表情をテーマに描く動機の一端を今も担っています。

表情は語る。

表情から、その心を紐解く。

嘘のない表情に、私たちは救われ、

真に癒されていきます。


2021年5月 記 門倉直子

************

2021/05/08

連休の雑感

 

ゴールデンウィークも終わりを迎えます。

お元気にお過ごしでしょうか。

東京は緊急事態宣言が延長。

こもって制作する身としては、何か都合が良いような、わるいような。

ただいま、6月に長野県安曇野市の画廊バナナムーンで開催しますグループ展の準備の最中です。

欲張りなもので、個展が出来る程の作品を準備し、ここから出品したい作品を選び、ここで選ばなかった作品はどこで発表しようか、思案しています。発表の場所は、切実な問題です。


余計なことなど考えている場合ではありませんが、こんな時に限って『過去』の嫌なことが、よみがえって意識にまとわりついてきたりします。

しかもね、その情報が「向こうから」やって来たりするんです。不思議ですよ。

許して手放してしまえば良いのでしょうが、思い出す必要があるから、意識に上がってくるのでしょうし、情報もやって来る。

制作に活かせるのなら、この不快な感情すら、歓迎したいと思います。

爽やかな5月、楽しんでまいりましょう。











2021/04/22

リーフレットを作っています

 今年は東京では個展がない予定ですが、作品は制作しており、簡単なリーフレットを作ることにしました。まだ試作の段階ですが、たくさんの方に本の形で作品をお届け出来ればと思っております。

出来上がりましたら、よろしくお願い致します。





2021/04/10

過去作から近作まで



KaiFineArtさんのYouTubeチャンネル

門倉作品の過去作から最新作までをスライドショーにてご覧頂けます。(2008〜2021年)


(…我ながらつよい衝動のようなものを感じます)

制作年はランダムです。

作ってくださったひと、ありがとうございます。

2021/04/05

人生の指揮者たれ

 

正確には、

「人生の指揮者たれ!」

発破をかけるようなフレーズが浮かびました。

制作しながらのことです。

そしてオーケストラの音楽、あるいはピアノ協奏曲が頭の中で響きました。…高揚!

お客様とのコミッションワーク。試行錯誤を重ねふと湧いて来たイメージが、頂いていた「お題」にシンクロしました。それは私の人生に対しても、強いメッセージとして迫って来るものがありました。


「指揮者」

パネルに油彩、木炭

M10(530x455mm)

2021’

角度によって(日によって?)、微妙に表情が変化するように感じます?ニュートラルな表情が描けたという事でしょうか。

「私は、私の人生の指揮者だ。」

と決意していく心情を表現しました。







2021/04/03

ハロー、エイプリルフール

 

桜が咲き続けてくれています。なんと可愛い桜よ。今年は桜を愛でることができました。

昨年は疾病騒ぎで花見どころではありませんでした。不安だった気持ちを思い出します。

「春はどこへ行ったの」

「振り向けさくら」

作品に失った春を乗せて描いていました。


去年からそうでしたが、色々な事が、炙り出されている気がします。世界的にも個人的にも。

本質が露わになる、避けていた問題が明るみに出るという具合です。

長年「何となく嫌だ」と感じでいたことが「やっぱり嫌だ」と自覚しました。

うまみがあったから「嫌」にしがみついていたけれど、自分の心にウソはつけないものです。

無理をしてきたツケ。直感で感じている事は、何年経っても変わらなかった。そんな出来事が去年今年と、立て続けにあったのです。

人生の貴重な時間を無駄にしないために、あえて損を選んだほうが得というものです。

生き方、大事です。


そうそう、私淑のアーチスト?の方から、楽しいウソのプレゼントがありました。私にはニューヨークにアトリエがあるらしいです。コロナが落ち着いたら行ってみよう。


2021/03/30

春分の雑感

 春分、お彼岸の時期は何かしら事件があります。季節の変わり目、変化を強いられているようで、否応なく人生が迫ってきます。

病気知らずの私が今回体をこわして、40代のテーマは「健康」かも、と思いました。(本質的には「女性性」がテーマと推察していますが)

それぞれの年代にテーマがあって、20代は自我、30代はお金のことを考えていました。40代の今は健康がテーマというのは、自然な流れかも知れません。そして根底では人間関係、自分自身との関係、詰まる所「ひとの心」がテーマとして流れている感じでしょうか。

こうやって意味を見出していないと、ぼんやりして迷子になってしまいそうで。

制作、順調です。








初夏のグループ展に向けて

Oil painting,F6(410x318mm)
2021’


2021/03/24

退院しました

 

おかげさまで退院しました。

一週間ほどの入院でした。

経験したことのない症状で、しぬかもしれない、死にたくない、と思い、自宅にいた私は自分で救急車を呼びました。婦人科の疾患による重度の貧血でした。

毛玉だらけのセーターに作業用ズボン、引っ詰め髪にメガネ姿の私は病院の中を車椅子に乗って移動していました。こんな時でもじぶんの格好を気にするんだな…恥ずかしくて、心細くて、怖くて、惨めに思えて…無意識に涙がずっと出ていました。

病院では手厚く治療して頂き、おかげさまで元気になりました。輸血までさせて頂きました。有楽町駅前で見掛ける、献血のお願いの呼び掛けを思い出し、血を分けてくださった見知らぬ誰か様に感謝しました。私も誰かにこの恩をお返しする生き方をしていこう…と。

退院出来て良かったのですが、これからの治療について、よく考えて選択していかねばなりません。

選択。そう、人生は選択の連続。朝はパンかご飯か、この積み重ねが身体を作っていくように。

そして、今まで何となくボンヤリとさせていたものと、いよいよ向き合わなければなりません。

これは私の人生の宿題であり、ひとの心に届く作品を作る上で、欠かせない要素になることでしょう。大げさかな。

ご心配をしてくださいました関係者の皆様には、深く感謝申し上げます。

そして、医療従事者の皆様には深く感謝申し上げます。「背中を拭きましょうか?」そんな些細な一言が、どれほど有難かったか。

それから、

悪夢にうなされてホラー映画のような寝言を言っていた私に驚いて、看護師さんを呼んでくれた同じ病室のおばちゃん、ゴメンね。びっくりさせてしまいました。

点滴の跡がまだ痛いです。

皆様どうかご自愛ください。

2021/03/18

女はつらいよ

山田洋次監督の「 男はつらいよ」という映画が好きで、地上波でよく観ています。

突然ですが、昨日、緊急入院をして、今入院中です。世間は春、アートフェア東京。私は病室のベッドで、点滴に繋がれて。

ふと映画のことを思い出し「男はつらいよ…女だって辛いよ、笑えない辛さだよ、トラさん…」

涙が溢れてきました。

冷蔵庫の中のこと、生活、家族、洗ってない絵筆、そんなことばかり気になります。


初めての入院です。

2021/03/09

散歩

 先日久しぶりに谷根千を散歩しました。

千駄木で用事を済ませ、さんさき坂を登り、上野公園を抜けて、古い喫茶店へ。雨上がりで寒くて人通りも少なく、曜日のせいか閉まっているお店が目立ちました。街がやる気を無くしている、そんな感じすらしました。それでも頑張って営業している馴染みの店を見つけると、ホッとして嬉しくなりました。

緊急事態宣言が延長されましたが、仮に解除されても私の生活は然程変化しないのでは。不安いっぱい、夢いっぱいで、自分に苛立ちを覚えます。

がんばろう。

たぶん踊り場

 新たな局面を迎えている気がします。今までのやり方には戻れず、進むしかなく、どうコマを進めていいか、思案しています。

たぶん今、踊り場にいます。

すべてはご縁なので、淡々と絵画を追求していけば、自ずと道は開けてくる、はずですが、思うように動けず、自分にイライラし、エネルギーを消耗し、ブレまくっておる次第です。


2021/03/07

人物の描写について

 私にとっての人物描写について

人物の顔のバランスを整えて可愛らしい表情を持たせることは、絵を見てもらうための「仕掛けのひとつ」に過ぎません。描かれた人物が「かわいい」や「キレイ」というのは表層に過ぎず、それは作品の本質ではありません。作品を芯から読み解いて頂いた時、何が描かれているか、これが私の作品の本質に当たります。私には「それ」を描く使命があり、そこを探究していかねばなりません。





2021/03/05

恥をかかされるのは嫌だなあ、

ある人とのやり取りで「恥をかかされたこと」を根に持っていましたが、少し視点をずらして、相手は私の心情を受け止める器が無かった、小さいヤツだったのだ、と転換して、私の中でざわめいていた「恥かき物語」を終焉させたいと思いました。

本心を打ち明けるときは、相手を選びましょう。度量を観察しましょう。と、勝ち負けにこだわる小さなわたくし。やれやれ。

2021/03/04

ひな祭り


ひな祭り。当時私の家にも、立派な雛人形や日本人形がいくつもあって、この時期になると祖父母が飾ってくれました。今日は楽しいひな祭り。

「日にちを早く飾り過ぎては早く嫁入りしてしまう、ゆっくり片付けすぎると嫁入りが遅くなる」…ただの迷信ですが、祖父母からの言い伝えは、いつか呪いとなり、小さな私の潜在意識に刷り込まれました。華やかな雛人形を飾ってもらうのは嬉しいはずなのに、ある時期から、暗に女になることを強要されているような、何か窮屈な空気を多感な少女は感じていました。

…ああ、昔の家を思い出します。畳の感じとか、祖父母と過ごした時間など。


時は令和。

ひな祭りや端午の節句が、ハロウィンみたいに変容していけば面白い。バレンタインがもはやチョコ好きの祭典、友チョコが主流で成りつつあるように。ひな祭りは、女性性の解放の日、女装祭りのような。世界中のあらゆる素晴らしい人形を紹介するような。

私も思い切り女装して、女を演りきってみたいものです。


2021/03/03

犬も歩けば

 犬も歩けば棒に当たる人生でした。

発表する画廊をどうしようとさまよい歩いて、たまたま入った画廊の主に個展をしませんか、と声をかけられ、それから今日まで世話になり…。これから収入をどうしようと悩んでいた時、たまたま行った画材屋の店主にバイトしませんか、と声をかけられ、結局6年も世話になり…。お茶をしようとうろついて、たまたま入った喫茶店で…ほいほいほい。と、私はこれまでの人生で、たまたま行った先々で救われる幸運を何度か経験してきました。窮すれば通ず。それには、歩くことです。歩けば何かに当たる。きっと宝くじ以上の恩恵です。歩きましょう。もう春ですね。

2021/03/01

白昼夢

 

月に一度有るか無いかですが、密かに喫茶店の手伝いをしています。アルバイトの方がお休みで他が見つからない時などの臨時要員として。時々なので、動きも悪く、食器洗いやお客さんから注文をとるくらいで、まさに猫の手、絵描きの手。じぶんには向かない仕事と自覚しつつも、これもご縁、役回りとお引き受けしている次第です。

店主から「近所のパン屋さんににパンを取りに行って」と指示があり、エプロン姿のままひょいと商店街に出て外の風に当たると、なんだか奇妙な気分になります。「喫茶店で働くエプロン姿の私」が商店街を歩いている…非日常的なことだが、もうひとりの私にとっては「日常」なのでは…ここは、パラレルワールドなのか。これは私が選ばなかったもうひとつの私の人生なのではないか…?絵描きでない人生。喫茶店で働いている人生。街に溶け込み、穏やかで、油絵の具のにおいを知らない人生…。

束の間の白昼夢。2本のパンはけっこう重く、形を崩さないよう慎重に運びます。パラレルワールドはいくつもあって、同時進行しているとか。

次はどこへ行こうか。




2021/02/28

煽られる

 

久々に買い物に出掛けました。

食材や日用品の買い出しではない、ショッピング(と言っても画材を入れるリュックが欲しかったんです)。

緊急事態宣言中の模範民のような生活を送っていた私にとって、久々の街は引け目を感じるほど眩しく、活気に溢れていました。あら?緊急事態宣言って、解除されてるの…?というくらいに。

開放感のある巨大ショッピングモール。私は目的の店に急ぐのですが、途中、目に入ってくる店の春物のお洋服に気を取られ、重い冬服を着ている私は焦りを覚えます。お客さんもたくさんいて、なんだか、なんだか、煽られる。

欲しい、欲しい、買え、買え、と、私の物欲が躍動し始めるのを感じます。ステイホームの反動でしょうか、ネットでも買い物出来るとはいえ、実物を見てのお買い物は実にエキサイティング!…と、しかし私も大人になったもので、ここは「待て」のブレーキ。私は今、煽られている。

…思えば修行のような毎日です。あそびの勘が鈍っている。久々のお買い物に舞い上がり、物欲の発動に戸惑うのも無理はありません。私には消費のリハビリが少々必要かも知れません。

忘れられないベージュ色ワンピース。良さそうなボディークリームに化粧品。近々また会いに行ってしまうでしょう。

2021/02/27

気分に依る

 

時折りふと、「気分の良さ」を感じます。裏を返せば「常時気分は良くはない」わけですが…。

気分が良いと、制作もすごく良いマインドで向かえます。

詰まるところ「気分」。そんな結論に至ります。

2021/02/25

ことばの鮮度

 

手帳に「一筆入魂」と書いてありました。制作していて、大事だなぁと思ったことをメモして書いて置きました。ほんの1ヶ月前のメモです。けど、今の私にこの言葉は「ぽかん」です。ピンと来ない。

メモした時は、「一筆入魂の実感」がありました。今はピンときません。今は別のことばがストライクな訳です。ことばは生きています。

その都度、その都度、大事なことは言葉を変え表現を変え、制作に迫ってくるものです。生きていない言葉にしがみつけば、制作の鮮度も失うでしょう。制作時に感じる体感、感覚、は、あまりにも不確かでマニュアル化出来ません。そこに私のこう在りたいと思う姿があります。




ああ人生


ボタンを掛け違えたまま突進してしまうと、必ず正す時が来るものです。無理があると、どうしても続かなくなる。人生に対して、ひとに対して、謙虚さが必要になる。しみじみ思います。

人生という壮大な物語を楽しみましょう。

女たち

 じぶんを傷つけたひとを傷つけたくなる。こんなきもち、わかるでしょう。こんにちは。

私にマウントを取ってくる女性がいました。その時はおめでたいほど気付かなかったのですが、後から嫌な感じがして、ああ、あれはマウンティングか、と後になって気付き、なんだよ、あのおばさん、ぺっ、と、気持ちが戦闘モードになりかかったのですが、その女性の人生を一瞬、垣間見る出来事があり、マウントせずにいられない背景を知りました。その人は、ひとに言えないような恋をしていたのです。あのよそよそしさ、棘のある物言い…その女性の抱えていることを感じたら、気が抜けて、私の戦闘意識は萎えました。マウントくらい取らせて差し上げよう。どうせ私はしあわせだし。

女たちは、たいへんです。

2021/02/24

悪夢をよくみる


私はしょっちゅう悪夢を見てうなされます。

先日は、死ぬ夢を見ました。私が描く絵の女性が私の左腕を引っ張るのです。怖いと思いつつも、あ〜死ぬ瞬間ってこんな感じな、の、か……(チーン)という夢。

昨日の夢は、知り合いの作家が美術業界を支配しようとして、私は反発するのだけど、飲まされた毒が効いて灰色の絵の具のゲロを吐いてしまい、それでも「作品とはー」などと、懸命に熱弁しながらうなされていました。我ながらすごく良い事を言っていたのですが、その内容は忘れました。

死ぬ夢は、吉夢らしく、生まれ変わるなどの意味もあるそうです。ゲロの夢は、受け入れ難い、とか、そんな深層心理があるのかしらん。

すてきな悪夢を見たいものです。


2021/02/23

美術館に行きたい

 見逃した展覧会が幾つかあって、後悔しています。

どうしても、ぜったいにコロナに感染してはならない状況で、ひとの生き死にに関わるので、諦めたのですが、この判断は神経質過ぎだっただろうか…?

やっぱり、画廊や美術館に行きたい。歩いて、電車に乗って。面倒でも行きたい。

会期が終わってしまった展覧会は、図録だけ取り寄せることにしました。画像だけじゃだめですね。せめて本を手元に置きたい。

私にとって、(皆様にとっても?)実物を体験することに、非常に価値がある時代になりました。

ギャラリー巡りしているひと、うらやましい。

なまえ

 私には、私を「なお」とか「なおちゃん」と呼んでくれる友だちがいるのですが…

これってすごーく、しあわせな事だと思いませんか。

なんか、しあわせ感じちゃうんですよね、

2021/02/22

ゆずれない

ひととして、どうしても譲れない一線というのがあって、そのラインを超えてしまうと、私はかなり冷たいみたいです。仮に私が得をする関係にあっても、受け入れられなくなる。
もう無理だ、と感じたら、無理なのだ。
ひとの、本質的な部分…のことだから。

という訳で、さて、どうしよう。正直に生きるって大変ですね…!


2021/02/19

美味しいとこ取りの人生


美味しいとこ取りだけの人生などあり得ない。

私たちは、人生の宿題を成し遂げなきゃならない。それは苦痛をともないます。

いい加減、目を覚ましませんか。





つまらなさ

 制作していて、つまらなさを感じたら、そこで筆は置いておく。しばらくはぷらぷらする。

つまらないは怖い。

湧き上がるまで待つ。

2021/02/18

ちょっとしたこと

 A「子どもが熱を出して…早退します」

B「私、まだお昼食べてないんですけど」


もう何年も前、仕事先で実際にあったAさんとBさんのやり取り。AさんとBさんは、ふたりで仕事を回さねばならない状況だった。

Aさんはとても落ち込んで、このやり取りを後日私に話してくれた。私は絶句した。

Bさんがお母さんになる頃、このやり取りをどう感じるだろう。


昔の仕事先の、ちょっと印象深い出来事。






2021/02/13

泣き寝入り

 ハラスメントの問題は、他人事ではありません。

それに遭遇した者の心労は、それまでの日常を一変させます。加害者はのうのうと日常を続け、加害者をかばった者は、ハラスメントを容認したと私は受け止めます。


美術関係者の女性がハラスメントにあってしまい、それを公表し裁判をするという記事を見つけました。大変、衝撃を受けました。実名で顔を出し、公表する。これがどれほどの精神的苦痛を伴うか、想像力があれば分かるでしょう。

記事を読み断片的に知った事ですから、何も知らない部外者の私がものを言うのは、控えたいところではありますが…

しかしながら、事態を公表した女性の勇敢さと覚悟には畏敬の念を覚えます。

私がその立場なら、泣き寝入りするから。


当事者にしか分からない、微細な心理的やり取りがあって、それはどんなに言葉を尽くしても、他人には分からないでしょう。

心理的解決。それは裁判以上に時間がかかるかもしれませんが、事態を公表した方の心が晴れることを同じ女性として祈るばかりです。


2021/02/08

支配とコントロール

 ひとの人生のダイナミズムに、心がざわめいております、こんにちは門倉です。

支配とコントロール、

それはゆっくり、じわじわと、気付かぬうちに人生に入り込んできます。ひとはそんなに強くないし、頼り頼られながら、「お互い様」で生きていく訳ですが、なぜか相手の言う事を「少しずつ」聞き入れていくうちに、絶妙に支配され、人生をコントロールされている、なんてこと、あるわけです。

母と娘、恋人、夫婦、親友、あらゆるパートナー、の間で静かに支配関係は執り行われていて、ゾっとする訳ですが、じぶんがこの状況下にあるって認め自覚するのは、相当な勇気だと思います。本当は相手を嫌いだ、支配されるのは嫌だと気付いてしまったら、生活の土台が崩れてしまう。人生の一大事です。だから、不快な感情にフタをして、不満で腹を一杯にして生きていく。

恐ろしいことです。

最近、自分の本心に気付いてしまった、という人の話を聞く機会があって、私は大変感心しました。勇敢。自分の本心に気付き認めるって、相当な勇気と強さ。自分の人生を切り開くって、こういうこと、本心に沿って選択し生きていくこと。

私はたまらなく応援しています。そして見事に乗り越えることでしょう。

最適化出来ないわたくし

 最適化というのはパソコン用語なのでしょうか、よく耳にする、気になることばです。

その場、状況に自分を最適化させて、パフォーマンスを上げる、なんてこともどこかで聞いて、違和感ありつつも感心します、最適化。

絵画も「場」やコミュニティなどに最適化しようとする無意識の働きがある気がします。どの画廊で発表するかによって、かなり、しかも無意識的に作品の風味を調整しているような。

今年、長野の画廊でグループ展の参加を予定していて、気分も変わるというか、チャンネルをその画廊にチューニングしようと意識が動きます。最適化しようとしているのでしょうか。グループ展楽しみです。



2021/02/07

画像で見るのと違う


「画像で見るのと全然違うね」そんな感想を多々頂きました。画像をたよりにネットで作品をジャッジされるのは、もう避けられませんが、現物から放たれる波動を全身で感じることが美術鑑賞の肝。

画廊や美術館に足を運び続ける鑑賞者には、敬意を表する次第です。












 

2021/02/02

反省


過日の寄り道「姉さんと私」。

応援くださった皆様に御礼申し上げますとともに、その作家である私は今回の開催について反省をしなければなりません。

まずは、「友人」にDMを送ってしまったこと。

新年のご挨拶を兼ねて送ってしまったのだけど、何せ緊急事態宣言丸被りの展覧会の案内は、送るべきではありませんでした。

(展覧会があります、でも来ないでね)という、矛盾したメッセージになってしまったから。

友人、それは私との「人間関係」ありきの展覧会なので、かえってとても気を遣わせてしまい、とても申し訳なく思っています。

ごめんなさい

それから、

私はSNSでお客さんの反応を拝見する機会が増えた訳ですが、せっかく来廊してくださったお客様に、作品をじゅうぶんご覧頂けない状況があったことを知りました。

店が混んで入場制限…とか、そんな理由ではありません。作品を観ている人の邪魔をしない、そんなごく簡単な配慮が出来なかったのです。そういう雰囲気が会場にあったという事です。

作家本人は不在していたとはいえ、とても申し訳ない気持ちです。

至らぬことばかりで申し訳ないです。










やめられない

2月になりました。こんにちは、門倉です。

ツイッター、もう10年使わせてもらってます。

嬉しいことも悲しいことも、清濁合わせ飲んで、ただただ中毒になるばかり。

やめられません。


作品の芯に何が描かれているのか、どんな潜在的イメージがあるのか、を鑑賞者(お客さん)から教えられる事がある。

逆輸入して良さを知る、ような。

自分で制作しておきながら気付かず、鑑賞者が言語化して明確にしてくれる訳です。

そうそう、そういうイメージなんですよ…!

ああ、そういう意味だったのか…

などと、じぶんの作品を再発見したりする。

あるいは、「伝わっている」快感を覚えたり。

作者と鑑賞者の、感性のやり取りを含めて、やはり美術は面白く、尽きないものです。

やめられません。

2021/01/31

エゴサ!

 展覧会時にエゴサーチなど不粋と思って今日まで控えてきましたが、この状況禍ではSNSでお客さんの反応を伺うしかなく、今更ですが真剣にエゴサを始めました。

そうしましたら以前の展示のご感想や画像を上げてくださっている方々を発見しまして、誠に有り難く、小さなプライドなど捨ててさっさとエゴサすれば良かったのだと、しんみりしておる次第です。

有難うございます。

そんな訳で、私は「寄り道」から戻ります。

先の寄り道- 姉さんと私-にお付き合いくださいました皆様に深謝申し上げます。

ありがとうございました。

そしてただいま。

描くで。



2021/01/29

嬉しいこと

 ちょっと嬉しいことがあった。

私淑する人とほんの繋がりを持てた。

そしたら色々なつじつまが合って、「分かった」

きらいな人に好かれようとするからチグハグが起こるのだ。

好きなひとに見せても恥ずかしくない絵を描けば私は私の人生に納得できるのではないか。

ともかく嬉しかった。



2021/01/28

折り合い

 緊急事態宣言中に、イレギュラーな内容の展示をさせてもらっています、門倉です。

今回の展示は、自分の作品と距離を置くための策でもあります。

そして、思い切り描くことで、発散も出来た気がします。

私の寄り道にお付き合いくださって有難う御座います。




作品と自分がどう在りたいか。

年中確認していないと、惑わされブレる。

作品は売れたほうがいいけれど、それを追ってしまうと、絵画制作の本質を見失ってしまう。

しかしながら売っていかなければ、制作が出来なくなってしまう。

天衣無縫に描き切り、それが極めて自然な形で欲しいと思ってくれる人に買ってもらい、生計が成り立つ。それが望ましい。

今、油彩に戻り、取り組んでいます。

私の目指す絵画を体現していきたいと思います。



2021/01/20

せめて絵の中

 華やかであればあるほど刹那的で、

元気な姿を表現すれば、寂しさが増す。

笑うことで悲しみが表現されてしまう。

せめて絵の中では、可愛い着物を着て足袋を履いて、いつでも「お出掛け」出来るように。

せめて絵の中では、愉快な時間を楽しんでいられるように。

なんて、

「姉さんと私」は、

通りすがりの絵描きの「余計なおせっかい」

かも知れません。








引き続き、お楽しみください…!



2021/01/09

寄り道「姉さんと私」によせて

 門倉直子の寄り道〜姉さんと私〜


連作「姉さんと私」は、浮世絵や史実を元に描いた「おいらんとかむろの物語」です。

華やかなその世界は、非日常的でありながら、日常。そこに生きる人たちの心情に光を当てたいと思いました。

「過酷な状況であっても、日常のときめきは、きっとあった(あってほしい)」

掻き立てられるような気持ちで描いた今作を私の絵画に必要な『寄り道』と、位置付けました。



2021/01/05

あけましておめでとう


あけましておめでとうございます。


お正月は近所の神社へ初詣に行ったくらいで、どこへも出掛けず、こもって制作していました。正月明けて久々に駅前まで出掛けましたら、街の空気は2021年にシフトされていて、私はこの数日の正月で、私の時間と街の時間に「ズレ」を作ってしまったことに気付きました。街を歩きながら、私の肉体と精神がみるみる2021年に更新されるのがわかりました。ワープ、でしょうか。全てが、2021年になっていきます。



















ここ最近、「時間が消える感覚」があることに気付きました。例えばウトウトと寝そうになる時や、制作に没頭している時、自分が何者かさえうっかり忘れてしまうような「間」があることに気付きました。それはとても気持ちが良い「間」なのですが、帰って来れなくなるような、宇宙空間に放り出されるような心細さもあり、怖くなって大抵は引き返すんですけれども。恐らく私が「魂」で居る時間なのではと考えます。日常生活が借り物の様に感じて、なんだか怖くなります。


毒にも薬にもならない話で御免なさい。


「これ!」と言える作品を「これでもか!」という程、制作していく、毎年同じような目標です。こんな状況ですが、発表の場も増やしていきたい。


今年もご指導よろしくお願いいたします