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2025/10/04

安曇野から帰りました

 

安曇野から帰りました 


安曇野の画廊バナナムーンさんでの個展は、

無事会期をまっとうすることができました。


作品を観てくださったお客様、

気にかけてくださった皆さま、

応援くださった皆さま

画廊の皆さま


誠にありがとうございました。


帰って来てしばらく経ちますが、

未だに安曇野を引きずって

日常生活を送っています。

安曇野はいつも、

静かだが強烈な体験をさせてくれます。


東京で培ったお作法が通用しない、

それが私にとっての

画廊バナナムーンという場所です。

それはまさに修行の場であり、

新たな価値を発見する場所です。

(作品を推しはかる物差しは、

幾つ持っていてもいいでしょう)


じぶんの立ち位置をぐらつかせ、

再確認させてくれる場です。

こわいです。


安曇野の自然は圧倒的で、

山々の景色は素晴らしく、

トンネルの暗さは異次元への近道。



私はあることについて気掛かりでいました。

他人からみれば、取るに足らない、

どうでもいいことです。

私にとっても実はどうでもいい事です。

なのに

「気掛かりであること」がありました。

(それは、

ある人とそのお父さんについての物語です)


けど、色々なことが「わかりました」

誰に説明を受けた訳でもなく、

わかりました。


それは誰にも言えない

私だけの極めて個人的過ぎる感覚で、

神様にしか報告できない案件とでも言いましょう。

(小説家ならとびきり面白い物語に

仕立て上げられるのに!)


おもてに出てこない面白い物語は、

個人の中にこそあるのでしょう。



2025年は、

東京と長野で個展を開催することができました。

皆さまの支えあっての画業です。


ありがとうございます


またどこかでご覧いただけるよう、

励んでまいります。

次がある、のは素晴らしいですね。

2025/01/03

不確実

 絵画は不確実で

決まりが無く、

「どういう訳か出来上がってしまう」

くらいの感覚があったほうが

作品として上手くいっている気がする。 

商品としては扱いにくいけれど。


「絵画する」という感覚は、

微かな、けど掴んだ手答えのある肝で

譲れないところなのだと思う。


正月は忙しいなぁ、


今年もよろしくお願いします

2021/02/27

気分に依る

 

時折りふと、「気分の良さ」を感じます。裏を返せば「常時気分は良くはない」わけですが…。

気分が良いと、制作もすごく良いマインドで向かえます。

詰まるところ「気分」。そんな結論に至ります。

2021/02/25

ことばの鮮度

 

手帳に「一筆入魂」と書いてありました。制作していて、大事だなぁと思ったことをメモして書いて置きました。ほんの1ヶ月前のメモです。けど、今の私にこの言葉は「ぽかん」です。ピンと来ない。

メモした時は、「一筆入魂の実感」がありました。今はピンときません。今は別のことばがストライクな訳です。ことばは生きています。

その都度、その都度、大事なことは言葉を変え表現を変え、制作に迫ってくるものです。生きていない言葉にしがみつけば、制作の鮮度も失うでしょう。制作時に感じる体感、感覚、は、あまりにも不確かでマニュアル化出来ません。そこに私のこう在りたいと思う姿があります。




2021/02/19

美味しいとこ取りの人生


美味しいとこ取りだけの人生などあり得ない。

私たちは、人生の宿題を成し遂げなきゃならない。それは苦痛をともないます。

いい加減、目を覚ましませんか。





つまらなさ

 制作していて、つまらなさを感じたら、そこで筆は置いておく。しばらくはぷらぷらする。

つまらないは怖い。

湧き上がるまで待つ。

2021/01/28

折り合い

 緊急事態宣言中に、イレギュラーな内容の展示をさせてもらっています、門倉です。

今回の展示は、自分の作品と距離を置くための策でもあります。

そして、思い切り描くことで、発散も出来た気がします。

私の寄り道にお付き合いくださって有難う御座います。




作品と自分がどう在りたいか。

年中確認していないと、惑わされブレる。

作品は売れたほうがいいけれど、それを追ってしまうと、絵画制作の本質を見失ってしまう。

しかしながら売っていかなければ、制作が出来なくなってしまう。

天衣無縫に描き切り、それが極めて自然な形で欲しいと思ってくれる人に買ってもらい、生計が成り立つ。それが望ましい。

今、油彩に戻り、取り組んでいます。

私の目指す絵画を体現していきたいと思います。



2021/01/20

せめて絵の中

 華やかであればあるほど刹那的で、

元気な姿を表現すれば、寂しさが増す。

笑うことで悲しみが表現されてしまう。

せめて絵の中では、可愛い着物を着て足袋を履いて、いつでも「お出掛け」出来るように。

せめて絵の中では、愉快な時間を楽しんでいられるように。

なんて、

「姉さんと私」は、

通りすがりの絵描きの「余計なおせっかい」

かも知れません。








引き続き、お楽しみください…!



2020/12/31

2020年もありがとうございました

 今年も有難うございました。

応援してくださった皆様、支えてくださった皆様に心より感謝申し上げます。

誰にとっても大変な一年でありました。

私は2月に個展を開催して、その時はまだ他国で流行している病…気をつけないと、くらいの感覚でしたが、個展を終えて1週間後には、事態が大きく変わっていました。中国で開催予定だった展示も延期になり、その他の展示も開催はしたけれど、何処か伝え切れないもどかしさがありました。

返って制作は、じゅうぶんに時間がありました。勉強する時間が与えられ、それが作品に生かせたのが面白く、新たな手ごたえを感じました。良い副作用。それが次回の展示「門倉直子の寄り道、姉さんと私」(1/15より開催予定)に表れていればいいのですが。


どうか皆様の2021年が、明るく穏やかな楽しい年になりますように。その「楽しい」の、ほんの一端でも担える作品が作れたら最高。

2021年もよろしくお願いいたします。

ありがとうございました!


門倉直子 拝




2020/01/04

あらゆる次元にワープ




年末年始、
さっきまで幸せな気持ちだった私は、
ちょっとしたことをきっかけに
鬼のような気持ちになったり、
かと思えば感謝の念が沸いてきたり。

「感情の流れ」とかではなく、
毎瞬、違う次元に移動している感覚。
この場所に居ながら、
私はあらゆる「場所」に移動している。
そして、時間はつながっていない。
今この瞬間の私だけが存在し、
さっきまでの私は、もう「別人」である。
(それを過去と言うのかも)
そんな感覚を獲得した、
年の初めでした。

今年は個展、海外のグループ展と
鋭意制作中です。
本年もよろしくお願いいたします。










2019/10/20

この子らとずっと付き合っていくのだ




試行錯誤し、新たな表現を模索、
のはずが、ぐるり一周して、
今の表現になってしまう。
どうしてもこれが
しっくりきてしまう。

制作中の作品を見詰めてふと、
「私は、この子らと
ずっと付き合っていくのだな」と
諦めのような気持ちが
沸いてきて、
その諦めを内心歓迎している自分に
驚きました。

「この子ら」とは
描かれた人物を指すのではなく(ここ大事)、
私の中にある「抗えない業」と申しましょうか、
「私のしょうもなさ」を指しています。
こういう絵ばかり描いてしまう
宿命めいたもの、などと言ったら
大げさでしょうか。

誰かになりたいと願い、
背伸びしたところで、
所詮
わたし自身からは逃れられない。
そう感じて、
「こういう絵」しか描けない私と
ずっと付き合っていくのだと。
ああこの、
しょうもないわたくしを
生きていくのだ、と。

…呼吸する間に忘れてしまうような
こういう感覚を、
出来るだけ見逃さず、
とらえていけたらと思います。











2019/06/30

起き抜けの低血圧少女たちに捧ぐ





ストロベリーチョコレート丸の内。
何でもできそうな気になって
東京駅で宙返り、していた私も、

十数年の時が過ぎ
昼時のライオンで
ノンアルビールを飲むほど
大人になっていました。

誰かと誰かをつないでみたら、
十数年は3秒で解決。

黒のプリズム、魔女と奴隷、
カギを閉めなかったわたし。

再会ならば、
6月の雨のなか。

生き直すことができるなら、
バラのような花。
よりクラシックに。

少女をやめる前に
神様の肌をあなたに捧げたい。

ゴールデンタイムのファイティングベイビーたちは、
寝具を着て小休止。
むらさきいろの窓から、
にばんめの鳥が飛んでいくのを
一瞬だけ、
こめかみから見たの。

花びらより軽い先生のうそは、
隙間の時間に埋め込んでしまおう。
しかも時計のあった場所に。

あなたと交わした口約束を
いちばんめの鳥は覚えているよ。
風薫る口紅は、
詠み人知らずのままでいよう。

起き抜けの低血圧少女たちが、
今日も夢を羽織る。
新しい時代のはじめに、
みんなしあわせじゃなきゃいやだ と、
ようやく気付いたのは、
真っ暗なたそがれどきでした。

世界の天辺で電車を待つの。
しあわせすぎて悲しい。


*****

門倉直子-生活と絵画- は、
無事会期を全うすることができました。
応援してくださったすべての皆様に
深く感謝申し上げます。
一日だけ、会期延長があるようですので、
画廊のツイッター等チェックしてみてください。


でたらめの詩を書きました。
今回の作品タイトルを
いくつも織り込んでいます。
(いくつか見つけられますか?)

次回作をお礼状に代えて。
有り難うございました。
またお会いできますように。

ありがあとうございました。

令和元年6月末日
雨の日曜日

門倉直子 拝




2018/08/12

ちひろさんへ



いわさきちひろさんの作品を
初めて見たのは4、5才の頃です。
親戚の家に飾ってあった
額装されたプリントでした。
少女の横顔と赤いチューリップの作品だったと記憶します。

幼少の私は、その作品を見て
胸が締め付けられる程の
悲しみを感じて、
その悲しみを感じるのが怖くて、
それは小さな私なりに、
絵画の力を目の当たりにした
瞬間でもありました。

可愛いいなぁ、と感じるのが
たぶん正解だったですが
(本当は正解など無いのは承知ですが)
「可愛らしい」より、
「悲しくて怖い」を感じてしまい、
それが何とも後ろめたかったのを
今こうして言葉に出来るように
なりました。

私も絵描きになりました。






2018/08/09

「作品でぶん殴る」誰の言葉だったか




あなたの作品、
悪くも言われていますよ、と
ネットのSNSの画面を見せて
教えてくださる方がいらっしゃいました。
(↑これな)

どんなに真面目に生きて
創作活動していても、
作品を発表する以上、
そこにツバを吐く人はいるものです。

ですが、不思議なことに
それを知らされても、
私は落ち込むどころか
ゾクゾクと来るものがありました。

悪口を言う側ではなく、
言われる側に居る…!
心の奥の方で小さなガッツポーズです。
(↑この感覚、わかってくださったなら、
それはきっと同志であります)

そして誰の言葉だったでしょうか、
「作品でぶん殴る」。
今まさにこんな気持ちで、
お盆休みを迎えます。

作家は粛々と制作するだけです。










2018/07/05

些細なエピソード







門倉さん、どうして怒らなかったの?
怒っていいんですよ?と、
友達に指摘されて、ハっとなった。


嫌な気持ちになったなら、
それは不快だ、むかつく!
デリカシーない!と、
正直な気持ちを言えばいい。
それをどうして躊躇したのか。
私が我慢すれば場が収まる、
嫌われたら困る、
という気持ちと、
負けず嫌いな性格がこじれて、
もやっとして眠れなかった。
翌日、私の気力はしぼんでいて、
泣き腫らしたような気持ちで、
私の頑固さやいじけるクセを
恨めしく思って、
攻撃する気持ちはじぶんに向かってしまった。

そしたら、友だち。
完璧な味方でいてくれる友だちは、
あなたが傷ついたのは事実だ、
些細な事だ、なんだそれ位でとか、
苦しみは人と比べるものではない。
あなたが傷ついたのは、事実だ。
と言ってくれた。
救われた。
気力が戻ってきた。
そして、
心を守れるのは自分自身しかいませんよ、と
諭してくれた。


いつかのこの些細なエピソードを
無かったことにしないために
書き留めます。



(じぶんのことばかり考えてないで、
相手の立場を考えなさい!
と教育されてきたのに、
今度は逆をしなければ
生き抜けないなんて…!)














2017/10/29

グループ展ありがとうございました




アート★アイガさんのグループ展は
無事終了いたしました。
ご覧くださいましたお客様、
作品をお買い求めくださいましたお客様、
ありがとうございました。
まずまずの反応を頂けたので、
ホッとしております。

と同時に、
私には諸々予想出来なかったので、
ちょっと驚きました。



年内の発表は、これでひと段落です。

次は、来春2月。
ギャラリー椿さんでの個展に向けて
始動する運びでございます。

さて、どうしよう。


よろしくお願いいたします。



(「さんさき通りでつかまえて」より)

2017/04/16

がっこう




陶芸家の鈴木環さんと出身校が同じということを知り、
インスタグラムをフォローさせていただいたところ、
ななななんと、鈴木環さんご本人から
メッセージ付きでフォロー返しをして頂き、
メッセージのやり取りをさせていただという、
しかも、かどくらの名前を誰かから聞いていて、
知っていてくださったとゆう
ミラクルなことがございました。



学生の時分、私は学校が好きではなかったはずなのに、
今、鈴木環さんが大先輩だと知って、
学校の思い出のイメージが、
カラカラと形を変えていくようでした。


そう、当時の私は
その学校に通う自分を認められず、
葛藤と抵抗がありました。
時を超えて
鈴木環さんの作品に出会えたおかげで、
封印が解け、今ようやく当時の私自身との和解に向かっています。


それにしても…
本当に「良いもの」は、
不思議なエネルギーを内在している…と、思いませんか?
例えば真に人を癒し、中庸に導いてくれるような。











言葉にしない訓練




先日、ある美術展のチケットを貰ったので、行ってきました。

その作家の作品は、他でも何度も見ていて、
図録も何冊が持っていたので、
今回は気楽に観るつもりで行ったら、
結構混んでいて、
結果「ただ見物に来ました」みたいな鑑賞をしてしまいました。

作品と作品を観ているお客さんを観ている、
という状態になってしまい、
「作品と作品を観ているお客さん」を観ていたら、
すっごく変な感覚になってきて
(頭が)

私は、素晴らしい作品を観ているのではなく、
「素晴らしい作品という概念」を観ているのか?
という感覚になってしまいました。
(↑…解って頂けますでしょうか…?)

作品は素晴らしいに違いない。
だけど、「素晴らしい作品」を観たいのではなく、
作品そのものを観たい。
ただその作品と対峙したい。


言葉で色を付ける前の作品。
素晴らしいもヤバイも、
賞賛の色さえ付けないで作品を観る感覚を保ちたい、
と思いました。
(文脈、とかは、また別の話)


最近、
言葉にしない訓練をしています。
例えば美しいものを見た時。
「きれい」とか「桜だ〜」とか言わない。

かわいいものを見た時。
「かわいい〜」とか「あ、猫」とか言わない。

好ましくないものを見た時も同じく。

ただ観て感じる。

↑これ、気持ちいいのです。
「それ」が鮮度をもって迫ってくるのです。
感動が増すのです。

(この感覚、解って頂けますでしょうか…?)






2017/03/14

私の声ではありません





セカンダリーで私の作品が販売されていると、さみしい気持ちもありますが、喜ばしい気持ちのほうが大きいです。
知り合いのコレクターさんが画商を始められて、私の作品を販売して、儲けてくれたなら、私はとても嬉しいです。
節操のない繰り返す転売でなければ、以前買ってくださった方が儲けてくれたなら、嬉しいです。
そのお金は、生活費やアート作品の購入にまわるのだから、循環の中に居られて私は嬉しい。
ということを、明言しておきたいと思いました。


私が絵を描いている後ろ姿の動画に
他の方の声が入っていて。
あれは私の声ではありません。
どうか、誤解がありませんように。



















2017/02/10

つなぎとめる



物騒な話しですが、
怒りでどうにかなってしまいそうになって、
もうだめだ崩壊すると思ったその時、
古い友人から電話がありました。
展覧会とかの話で、何気ない会話だったけど、
本気で救われました。
おかげで私は悪い行いをせずに済みました。
助かった

怒りを溜め込むほどに我慢していることが多いのかもしれません。

それにしても…
人をつなぎとめるのは、
道徳ではない。
笑いだ。とか思いました。
そして、描き途中の作品たちが
私を思いとどまらせてくれた。

すこぶる勘の良い友人をもってて、
よかった〜ありがとう〜
と心底思いました。