2021/02/28

煽られる

 

久々に買い物に出掛けました。

食材や日用品の買い出しではない、ショッピング(と言っても画材を入れるリュックが欲しかったんです)。

緊急事態宣言中の模範民のような生活を送っていた私にとって、久々の街は引け目を感じるほど眩しく、活気に溢れていました。あら?緊急事態宣言って、解除されてるの…?というくらいに。

開放感のある巨大ショッピングモール。私は目的の店に急ぐのですが、途中、目に入ってくる店の春物のお洋服に気を取られ、重い冬服を着ている私は焦りを覚えます。お客さんもたくさんいて、なんだか、なんだか、煽られる。

欲しい、欲しい、買え、買え、と、私の物欲が躍動し始めるのを感じます。ステイホームの反動でしょうか、ネットでも買い物出来るとはいえ、実物を見てのお買い物は実にエキサイティング!…と、しかし私も大人になったもので、ここは「待て」のブレーキ。私は今、煽られている。

…思えば修行のような毎日です。あそびの勘が鈍っている。久々のお買い物に舞い上がり、物欲の発動に戸惑うのも無理はありません。私には消費のリハビリが少々必要かも知れません。

忘れられないベージュ色ワンピース。良さそうなボディークリームに化粧品。近々また会いに行ってしまうでしょう。

2021/02/27

気分に依る

 

時折りふと、「気分の良さ」を感じます。裏を返せば「常時気分は良くはない」わけですが…。

気分が良いと、制作もすごく良いマインドで向かえます。

詰まるところ「気分」。そんな結論に至ります。

2021/02/25

ことばの鮮度

 

手帳に「一筆入魂」と書いてありました。制作していて、大事だなぁと思ったことをメモして書いて置きました。ほんの1ヶ月前のメモです。けど、今の私にこの言葉は「ぽかん」です。ピンと来ない。

メモした時は、「一筆入魂の実感」がありました。今はピンときません。今は別のことばがストライクな訳です。ことばは生きています。

その都度、その都度、大事なことは言葉を変え表現を変え、制作に迫ってくるものです。生きていない言葉にしがみつけば、制作の鮮度も失うでしょう。制作時に感じる体感、感覚、は、あまりにも不確かでマニュアル化出来ません。そこに私のこう在りたいと思う姿があります。




ああ人生


ボタンを掛け違えたまま突進してしまうと、必ず正す時が来るものです。無理があると、どうしても続かなくなる。人生に対して、ひとに対して、謙虚さが必要になる。しみじみ思います。

人生という壮大な物語を楽しみましょう。

女たち

 じぶんを傷つけたひとを傷つけたくなる。こんなきもち、わかるでしょう。こんにちは。

私にマウントを取ってくる女性がいました。その時はおめでたいほど気付かなかったのですが、後から嫌な感じがして、ああ、あれはマウンティングか、と後になって気付き、なんだよ、あのおばさん、ぺっ、と、気持ちが戦闘モードになりかかったのですが、その女性の人生を一瞬、垣間見る出来事があり、マウントせずにいられない背景を知りました。その人は、ひとに言えないような恋をしていたのです。あのよそよそしさ、棘のある物言い…その女性の抱えていることを感じたら、気が抜けて、私の戦闘意識は萎えました。マウントくらい取らせて差し上げよう。どうせ私はしあわせだし。

女たちは、たいへんです。

2021/02/24

悪夢をよくみる


私はしょっちゅう悪夢を見てうなされます。

先日は、死ぬ夢を見ました。私が描く絵の女性が私の左腕を引っ張るのです。怖いと思いつつも、あ〜死ぬ瞬間ってこんな感じな、の、か……(チーン)という夢。

昨日の夢は、知り合いの作家が美術業界を支配しようとして、私は反発するのだけど、飲まされた毒が効いて灰色の絵の具のゲロを吐いてしまい、それでも「作品とはー」などと、懸命に熱弁しながらうなされていました。我ながらすごく良い事を言っていたのですが、その内容は忘れました。

死ぬ夢は、吉夢らしく、生まれ変わるなどの意味もあるそうです。ゲロの夢は、受け入れ難い、とか、そんな深層心理があるのかしらん。

すてきな悪夢を見たいものです。


2021/02/23

美術館に行きたい

 見逃した展覧会が幾つかあって、後悔しています。

どうしても、ぜったいにコロナに感染してはならない状況で、ひとの生き死にに関わるので、諦めたのですが、この判断は神経質過ぎだっただろうか…?

やっぱり、画廊や美術館に行きたい。歩いて、電車に乗って。面倒でも行きたい。

会期が終わってしまった展覧会は、図録だけ取り寄せることにしました。画像だけじゃだめですね。せめて本を手元に置きたい。

私にとって、(皆様にとっても?)実物を体験することに、非常に価値がある時代になりました。

ギャラリー巡りしているひと、うらやましい。

なまえ

 私には、私を「なお」とか「なおちゃん」と呼んでくれる友だちがいるのですが…

これってすごーく、しあわせな事だと思いませんか。

なんか、しあわせ感じちゃうんですよね、

2021/02/22

ゆずれない

ひととして、どうしても譲れない一線というのがあって、そのラインを超えてしまうと、私はかなり冷たいみたいです。仮に私が得をする関係にあっても、受け入れられなくなる。
もう無理だ、と感じたら、無理なのだ。
ひとの、本質的な部分…のことだから。

という訳で、さて、どうしよう。正直に生きるって大変ですね…!


2021/02/19

美味しいとこ取りの人生


美味しいとこ取りだけの人生などあり得ない。

私たちは、人生の宿題を成し遂げなきゃならない。それは苦痛をともないます。

いい加減、目を覚ましませんか。





つまらなさ

 制作していて、つまらなさを感じたら、そこで筆は置いておく。しばらくはぷらぷらする。

つまらないは怖い。

湧き上がるまで待つ。

2021/02/18

ちょっとしたこと

 A「子どもが熱を出して…早退します」

B「私、まだお昼食べてないんですけど」


もう何年も前、仕事先で実際にあったAさんとBさんのやり取り。AさんとBさんは、ふたりで仕事を回さねばならない状況だった。

Aさんはとても落ち込んで、このやり取りを後日私に話してくれた。私は絶句した。

Bさんがお母さんになる頃、このやり取りをどう感じるだろう。


昔の仕事先の、ちょっと印象深い出来事。






2021/02/13

泣き寝入り

 ハラスメントの問題は、他人事ではありません。

それに遭遇した者の心労は、それまでの日常を一変させます。加害者はのうのうと日常を続け、加害者をかばった者は、ハラスメントを容認したと私は受け止めます。


美術関係者の女性がハラスメントにあってしまい、それを公表し裁判をするという記事を見つけました。大変、衝撃を受けました。実名で顔を出し、公表する。これがどれほどの精神的苦痛を伴うか、想像力があれば分かるでしょう。

記事を読み断片的に知った事ですから、何も知らない部外者の私がものを言うのは、控えたいところではありますが…

しかしながら、事態を公表した女性の勇敢さと覚悟には畏敬の念を覚えます。

私がその立場なら、泣き寝入りするから。


当事者にしか分からない、微細な心理的やり取りがあって、それはどんなに言葉を尽くしても、他人には分からないでしょう。

心理的解決。それは裁判以上に時間がかかるかもしれませんが、事態を公表した方の心が晴れることを同じ女性として祈るばかりです。


2021/02/08

支配とコントロール

 ひとの人生のダイナミズムに、心がざわめいております、こんにちは門倉です。

支配とコントロール、

それはゆっくり、じわじわと、気付かぬうちに人生に入り込んできます。ひとはそんなに強くないし、頼り頼られながら、「お互い様」で生きていく訳ですが、なぜか相手の言う事を「少しずつ」聞き入れていくうちに、絶妙に支配され、人生をコントロールされている、なんてこと、あるわけです。

母と娘、恋人、夫婦、親友、あらゆるパートナー、の間で静かに支配関係は執り行われていて、ゾっとする訳ですが、じぶんがこの状況下にあるって認め自覚するのは、相当な勇気だと思います。本当は相手を嫌いだ、支配されるのは嫌だと気付いてしまったら、生活の土台が崩れてしまう。人生の一大事です。だから、不快な感情にフタをして、不満で腹を一杯にして生きていく。

恐ろしいことです。

最近、自分の本心に気付いてしまった、という人の話を聞く機会があって、私は大変感心しました。勇敢。自分の本心に気付き認めるって、相当な勇気と強さ。自分の人生を切り開くって、こういうこと、本心に沿って選択し生きていくこと。

私はたまらなく応援しています。そして見事に乗り越えることでしょう。

最適化出来ないわたくし

 最適化というのはパソコン用語なのでしょうか、よく耳にする、気になることばです。

その場、状況に自分を最適化させて、パフォーマンスを上げる、なんてこともどこかで聞いて、違和感ありつつも感心します、最適化。

絵画も「場」やコミュニティなどに最適化しようとする無意識の働きがある気がします。どの画廊で発表するかによって、かなり、しかも無意識的に作品の風味を調整しているような。

今年、長野の画廊でグループ展の参加を予定していて、気分も変わるというか、チャンネルをその画廊にチューニングしようと意識が動きます。最適化しようとしているのでしょうか。グループ展楽しみです。



2021/02/07

画像で見るのと違う


「画像で見るのと全然違うね」そんな感想を多々頂きました。画像をたよりにネットで作品をジャッジされるのは、もう避けられませんが、現物から放たれる波動を全身で感じることが美術鑑賞の肝。

画廊や美術館に足を運び続ける鑑賞者には、敬意を表する次第です。












 

2021/02/02

反省


過日の寄り道「姉さんと私」。

応援くださった皆様に御礼申し上げますとともに、その作家である私は今回の開催について反省をしなければなりません。

まずは、「友人」にDMを送ってしまったこと。

新年のご挨拶を兼ねて送ってしまったのだけど、何せ緊急事態宣言丸被りの展覧会の案内は、送るべきではありませんでした。

(展覧会があります、でも来ないでね)という、矛盾したメッセージになってしまったから。

友人、それは私との「人間関係」ありきの展覧会なので、かえってとても気を遣わせてしまい、とても申し訳なく思っています。

ごめんなさい

それから、

私はSNSでお客さんの反応を拝見する機会が増えた訳ですが、せっかく来廊してくださったお客様に、作品をじゅうぶんご覧頂けない状況があったことを知りました。

店が混んで入場制限…とか、そんな理由ではありません。作品を観ている人の邪魔をしない、そんなごく簡単な配慮が出来なかったのです。そういう雰囲気が会場にあったという事です。

作家本人は不在していたとはいえ、とても申し訳ない気持ちです。

至らぬことばかりで申し訳ないです。










やめられない

2月になりました。こんにちは、門倉です。

ツイッター、もう10年使わせてもらってます。

嬉しいことも悲しいことも、清濁合わせ飲んで、ただただ中毒になるばかり。

やめられません。


作品の芯に何が描かれているのか、どんな潜在的イメージがあるのか、を鑑賞者(お客さん)から教えられる事がある。

逆輸入して良さを知る、ような。

自分で制作しておきながら気付かず、鑑賞者が言語化して明確にしてくれる訳です。

そうそう、そういうイメージなんですよ…!

ああ、そういう意味だったのか…

などと、じぶんの作品を再発見したりする。

あるいは、「伝わっている」快感を覚えたり。

作者と鑑賞者の、感性のやり取りを含めて、やはり美術は面白く、尽きないものです。

やめられません。