最近、年配の方と接する機会が多くなったなと思っていたけれど、お世話になってきた方々が、いよいよ高齢者や初老の領域に突入してきたのだ。私が20代の頃お世話になった現役世代の大人の方々が、70代とか80代になっているのだから驚きだ。
その方々は、「おじいちゃん」にも「おばあちゃん」にもならず、活躍していた時分の気分のまま、その時の肩書きのまま、パワフルに歳をとっている。
当時のことを延々と細やかに話してくれる。
人生で一番輝いて活躍していた時期が、その人にとってのセルフイメージになっている。
社会で成功し、活躍した過去がある人ほど、肩書きや地位や栄光は、なかなか手放せるものでは無いのだろうなと、見ていて思う。
何者でもないじぶんに耐えきれない気持ち。私も、画家であることで私を保っていられる。何者でもなかったら、人生迷子。その肩書きに見合う日々の「しごと」をまっとうしているうちは、絵描きを名乗りたい。看板だけ掲げて中身が無かったら、空虚に過ごすしかないけれど。
本当は何者でもないのに、何者かであろうとするのは疲れる。無理がある。エネルギーを消耗する。
今のあるがままを受け入れることの困難さ。
何者でも無い,まっさらな自分を受け入れたら、きっと爽快だろう。
そう考えると、何者でもない、ただの爺さんでありつづける義父は、最強かもしれない。