2015/10/31

10月は内省月間





誰かの常識や価値観は
5分だけシャットアウト。


10月は、内省月間でした。
心理の旅は続きますが、
垂れ流しは、もうこのへんで。
勉強は続けます。


10月は、素晴らしい音楽に出会えたし、面白い場所にも行けました。



喫茶店が趣味に加わりました。
先日行った神保町で人気の喫茶店は、
慌ただしくて紅茶のカップは漂白剤の香りがしましたが、そんながっかりも楽しい。
次はゆっくりイチゴジュース飲みたい。
それとも次は隣の喫茶店に入ろうか。



なんだかわくわくしています。
何でも出来そうな気になって、
交差点で宙返りしそう。

今年も来年の手帳が必要になりました。

皆様のおかげです。



















2015/10/29

ART Taipei2015

アート台北に出品してます。


Booth:ギャラリー椿

小品を出品しています。
詳しくは、画廊にお問い合わせください。
よろしくお願いいたします。




↑作品部分







2015/10/25

いじけてる、




根本的にいじけているのだと思う。
それは作品のネタにし易い。
問題の無いところに問題をわざわざ作る。
そして絵を描く。
懲りない。

めめめ、面倒くさい性(さが)です。









2015/10/24

ジンジャーエール買って飲んだ




特別にくるりのファンというわけではないのだけど、くるりの薔薇の花という曲は大好きで、ある気分の時にはついジンジャーエール買って飲んでしまう。
そしてひと口飲んで、「こんな味だったけな?」と。

すると、よけいに美味しいのです。
(こんな事するの私だけではなさそうですけど…)

生姜は酢漬けをこさえて常備するくらい好きです。


前にもこんな事書いたっけな?









ちゃうねん




ニャポリタン  を検索したら妖怪ナントカの食品が出て来たけど、それじゃない。
かわいいカフェの猫顔のニャポリタンでもにゃい。
私が探しているのは、古い洋食屋みたいな喫茶店みたいなところのニャポリタンなんだよ!





2015/10/23

白ワインとドクターペッパー




久しぶりに白ワイン飲んだ。
そしたら無性にドクターペッパー飲みたくなった。


ドクターペッパー買って飲んだ
こんな味だったけな?

(くるりのパクりです)


夢と現実の境目が分からなくなるほど私は歩いた気がする。
我輩は猫である。
私は罠にハマった狸である。

急な階段を登って、
誰の歌か分からない歌を聴いている。

猫の洋食屋は何処にあるのだろう。
ニャポリタン  のケチャップが口の周りにべっちゃべちゃに付いても構わず頬張り続ける子どものように今すぐ振る舞いたいのだけれど。










2015/10/22

まとめ




おそらく私は、
コミュニケーションがしたいのだと思う。
自分や他人と。

私は人を描くが、
それは対話のための窓だ。
絵画と対話することは、
面白い行為だと素直に思う。


以心伝心のようなコミュニケーションが面白くて、絵を描いている気がしている。

気が触れ合うのが面白いと思う。















2015/10/21

覚めていく




スーッと覚めていく。
(冷めていく、ではなく)

そして、自分自身や隣人と
未だかつてない新しい関係を築いていく。

とても新しくて刺激的だ。
だけど心地いい。

教えられてきた人間関係では
収まらない。
カテゴライズ出来ない。
新しいコミュニケーションだ。


抽象的なんだけど、
ずっと私はこういうのを模索していた気がする。
















2015/10/20

希望




おおげさだが、
「こうであったらいいな」
というちょっとした希望があって、
数日間それを空想してたんだけど、
その希望は叶わなかった。

そっか残念。
で済ませるつもりだったんだけど、
意外にもダメージがあったようで、
翌日は身体に力が入らなかった。
腑抜けてしまった。

それでもアトリエには行って制作が出来たのは、
来年の個展への希望があるから。





「明日からどう生きよう」
おおげさだけど、
ふと思ってしまったもので。
(こういうことを思ってしまった自分に驚いた)



直ぐ立ち直りましたけど。

叶わなかった時のダメージ、
それを味わうのもまたいいもんだ。
なんて強がり言えるまで回復した。



目が覚めたのにまた、夢の中だ。


















2015/10/18

角砂糖




角砂糖って、見なくなりましたね。
(と思ってスーパーで探したら普通にあった)



『紅茶の中に崩れ落ちる角砂糖の音が聞こえる』


って、
どんな音だろう?


聞いたことは無いけど、
何となく分かる感じがしませんか。

こんな気持ち、
きっと感じたことあるでしょう?




それにしても、
なんて素敵でせつない、
素晴らしい表現だろう。


「紅茶」ってところがいいですよね。
珈琲、じゃなくて。

「崩れ落ちる」ってところが素敵ですよね。
溶ける、じゃなくて。

もう本当に素敵だ。


今のわたしは、
崩れ落ちる角砂糖そのもの。

この感じ、わかりますか…?










バランス



世間の価値観や、
職場や家庭での自分の役回りに
チャンネルを合わせつつ、

自分の感性を確認することも怠らない。

社会人としてそれが出来たら、
とても素敵でかっこいい。


世間に偏れば、
自分を見失い生きた心地がしないだろう。
感性に頼り切れば、
破天荒な芸術家にならざるを得ないだろう。
(だけど、自分の人生を生き切ることは出来るかも)


バランスをとる。
好い塩梅を探る。
それはきっと、
個人的で孤独を伴う「活動」だ。
大人たちは、こっそり「活動」している。
そうやって世の中を生きている。



…本当の大人に接しないと、
大人になれないね。

大人の友達この指とまれ。

















2015/10/17

友だちの名言



「画家って、なりたくてなれるもんでもないし、辞めたくて辞めれるもんでもない。生き方で、業だから。」


だそうです。


(>_<) 






けなげに待ってる




知人と色の話をしていたら、
ふとアトリエに置いてある
絵の具たちのことを思い出した。
けなげに私の帰りを待っていてくれる
絵の具たちのことを思ったら、
泣きそうになった。


10月の私はどうかしている。
情緒の地盤がゆるい。

こんな時は、駆け込み寺を頼るに限る。










2015/10/16

かくれんぼ




かくれんぼから出て来たのに。
みんな帰っちゃってるんだもの。

またかくれちゃうからね!
って、
キミいつまでいじけてるの。




今日も私はネタ探し。
人と心が触れ合う体験は、
何ものにも代え難い。
いとおしく、刹那的だ。











2015/10/13

目が覚める



私を明後日の方向へ道案内する者と出会うこともあれば、

何も言わずその存在だけで、
「これだ」と思う道を指し示してくれる人と出会うこともある。

後者と出会う時、私は目を覚ます。
すると、
エネルギーが満ちてくるのがわかる。
これだ〜!と思う。
こんなことしてる場合じゃない〜!
となる。

石にも玉にも出会えるように出来ている気がする。



ある女子空手選手の映像を拝見した。

その演武が美しいことは、素人の私にもわかる。
素人の私にも伝わってくる。
それくらい、かっこよくて美しい。
目が覚めるようだ。
会場で拝見出来たらどんなに素晴らしいだろう。












2015/10/10

再訪













朝の神田川沿いは爽やか。




午前中より春画展の講演会。
大変興味深く、ためになる内容でした。
ありがとうございました。












来春の予定


画廊から、
来春の個展の正式な通知を頂いた。

2016年2月27日(土)から
3月12日(土)まで、
ギャラリー椿 GT2で個展をします。

来年は閏年。
鋭意制作中です。











2015/10/08

お金




生々しいことで書きにくいが、
お金のことばかり考えていた時期がある。

朝起きて、お金のこと。
夜寝る前に、お金のこと。

あってもなくても、
お金のこと。

これが画家のリアルなのか…と、
街を歩きながら、
「私、画家になったんだ。」
と思った。

もう何年も前の話だけど。


今はおかげさまで、
じぶんのことを考えている。









2015/10/07

予言



年下の男友達に、身の上話を聞いてもらったら、
「カドクラさん、おとめぇ〜(泣)」と半泣きされてしまった。

「40過ぎたら、カドクラさんいい具合になりますよ」とナゾの予言と励ましのお言葉を頂いた。


いい具合とはどんな具合か。
予言の的中を祈るばかりだ。






2015/10/06

奥のほう



「苦しいは楽しい。」
(↑これは、私の好きなジャズミュージシャンの言葉)

それをラジオで聞いて、ハッとした。



この真理を知ってからは、
「本当は楽しいくせにぃ〜!」
と、自分に突っ込みを入れる。
(…この感覚、わかりますか?)



意識のずっと奥のほうで、私をコントロールしている私が、「てへ」と舌を出す。








2015/10/05

ここ数日 のこと


ここ数日、よく書くなぁなと思う。
それだけエネルギーが充ちていて、かつ暇なのかもしれない。このエネルギーと時間を来春の個展に捧げたいところだけど、今はただ書きたい。
書いて癒されているふしもある。
…ちょっとだけ、正気ではないのかも。

以前は書き記すことが怖かった。
わるく思われたらどうしよう、ばかがバレたらどうしよう、未熟さを悟られたら恥ずかしい…と気が引けて、書いても削除した。
そんなふうに自意識過剰なのもまた恥ずかしかった。


道を歩いていて、ふと、思った。

他人は、私の人生の責任をとってはくれない。

どんなに親しい他人でさえ、人生に何かしら影響は与えてくれても、責任までは取らない。

私の人生のおとしまえは、私がつけるしかない。

(何処かの本で勉強したことが、フラッシュバックしたのかも)


そして、
「よし、もういいや。思う存分書こう。」
と思った。



気が済むまで書こうと思う。
絵画制作が大詰めを迎えたら、まただんまりすることでしょう。









微かな違和感 のこと



海水浴に連れて行ってもらった。

親は子に、
「満足しただろう?」
と聞いた。
子は「うん」と答えた。

実際楽しかった。
夏休みの絵日記の宿題のネタも獲得できた。




何と無く引っかかる言葉や会話というのがある。
時が経ってもよく覚えていたりする。



考え過ぎ〜、と揶揄されても、私はちゃんと考えたいし、感じたい。

鈍感さは、結果的には身を守ってはくれないのではと、今は感じている。
微かな違和感が、創作のヒントになるのかも。








2015/10/02

荒川線に乗って



天祖神社  \ ( ´ ▽ ` )ノ
知り合いがここで御勤めされている。
お参りしました。




↑雨の神田川沿いは妖怪が出そうだ。




↑今日は来るつもりは無かったのに。
まさか雨の夜に鑑賞する事になるとは。
うっそうとした怪しげな雰囲気が、
テーマにぴったりだ。




(何も言うまい)




季節はもう秋だ。











2015/10/01

マクドナルドのこと



私が7才くらいのころの話だ。

お友達のKちゃんのお母さんが、学校帰りにKちゃんと私を車に乗せて、マクドナルドに連れて行ってくれることになった。
放課後、突然そういうことになった。

私はマクドナルドなんて一度も行ったことが無かったし、それは遠い所にあって、一生行けない場所だと思っていた。
なのに、学校帰りに車で連れて行ってもらうことになった。

車に乗り込んで、嬉しいはずが不安な気持ちがした。
まっすぐ家に帰らない罪悪感もあった。
Kちゃんも一緒とは言え、どこか遠くに連れて行かれる恐怖もあった。車の匂いも苦手だった。


マクドナルドは、案外近い場所にあった。
そこは、外国の小さな遊園地のようで、入場するや否やじぶんが不良になっていく気がして、また怖くなった。
だけどちょっとだけワクワクもした。


私は箱に入ったハンバーガーが欲しかった。
というか、箱が欲しかった。
しかし、メニューを見てもよく分からない。
(この頃はまだキッズメニューなんて無かったのだ)
Kちゃんは、マクドナルドに慣れているらしく、上手にお母さんに食べたいものを伝えていた。
とりあえず私は、白いソースが入ったハンバーガーを頼んだ。
(これは、フィレオフィッシュなのだけれど。)
それと、Kちゃんのお母さんの勧めで、バニラのシェイクも注文してもらった。


フィレオフィッシュは、箱ではなく、包み紙に入っていた。
食の細かった私だけれど、フィレオフィッシュはとても美味しかった。白いソース(タルタルソース)を生まれて初めて食べて、気に入った。
シェイクは、吸っても飲み込めなくて焦った。しかも冷たい。不安になった。このシェイクという新しい飲み物が恐ろしかった。


家に帰って、私は両親に注意された。
知ってる人の車だったからよかったものの、食い意地を張って知らない人について行ったらいけない、という、そういう注意だ。

「なんで行ったの?」と母に聞かれ、私は「食べたかったから」と答えた。
…本当はそう食べたくは無かった。
そういう流れになってしまっただけだ。断るという選択が無かったのだ。
「食べたかったから」という当たり前の答えしか7才の私には思いつかなかった。



「食べたかったから」
どうもその返答は、親にとっては少々堪えるものだったようだ。

その週の日曜日、両親は私をマクドナルドに連れて行ってくれた。頼んでもないのに。

私はあえて子供らしい振る舞いをして、「これとねぇ〜…」と、フィレオフィッシュを指差して注文した。シェイクではなくて、オレンジジュースか何かを注文した。
フィレオフィッシュは、相変わらず美味しかった。



帰りの車の中で「また食べたかったら、食べたいって言っていいんだよ」と、母が私に言った。
「でも、そう美味しくはないねぇ」とも言った。



両親は共に働いていたし、私は幼少のある時期、ある事情でわりとさみしい思いをしていたと記憶する。
そういった伏線もあってか、食べたいものくらい食べさせないと、という気持ちが、親にはあったのかも知れない。

この時私は、親は子に対して詫びるような気持ちがあるものなのだと、感覚として心得た。
そして「じぶんはまだ子どもで、甘えても許されるかもしれないのだ。」と、これもまた感覚としてぼんやり思った。


それから、家族でマクドナルドに行くことは一度も無かった。



後日、Kちゃんの家に遊びに行ったら、マクドナルドのハンバーガーが入っていた黄色い箱があった。その箱にはオモチャがはいっていた。
その様子がステキに見えて羨ましかった。