浪人生だったか、画学生の頃、電車内でクロッキーをしていた。
ハガキサイズのクロッキー帳に、乗客の姿を数分で描く。
健気な画学生は上手くなりたい一心でクロッキー帳をひらく。
電車内で寝ている人や読書している人など。
ぼんやり席に座っている人、吊り革につかまって広告を眺めている人。
目にとまったあらゆるひと。
私はときめきいっぱいでペンを走らせる。
時々、面白がって話しかけてくるおじさんやおばさんがいたり。
時々、描かれていることに気付き、身体を動かさないようポーズを取り続けてくれる優しいお兄さんがいて、軽く会釈して(すみません)と目であいさつしたり。
小さな画学生のクロッキータイムは、電車内で歓迎されている、と感じていたのだが…
その日も電車内でクロッキーに励んでいると、60代位の男性が私の目の前に来て
「この女、絵を描いていやがる…!」と怒り、持っていた傘の先端を私の顔、目に向けて来た。
きっと描かれるのが不快だったのだろう。
描いているのが気に食わなかったのだろう。
私はクロッキー帳を閉じて電車を降りた。
傘の先端を顔面に向けられた恐怖もあったけど、
絵に夢中だった世間知らずの画学生の私は、絵を描くことが歓迎されない世界もあるのだと、そこではじめて気が付いた。
それ以来、電車内でクロッキー帳を開くことは無くなった。
まるで五輪真弓さんが歌う「少女」の歌詞のような気持ち。
カラカラと何かが崩れてしまった。
けどそれは、悲しみではなく、自分の世界しか持ち合わせていなかった恥ずかしさ。
当時、先生や先輩に推奨されていた電車内クロッキーは、もう昔の風景。
電車の中で赤子にお乳をあげる母親の姿くらいの昔の風景。
あるいは、車内で匂いの強いものを食べるくらい非常識なことになってしまったのかも。
時代は変わっていく。
あのクロッキー事件は、私の「節目」のひとつ。
時代の変わり目。
まあ、あんな事が無くとも、昨今の電車内で悠長にクロッキー帳を開く気にはならないけれど。
久々の電車に揺られながら、思い出しました。