ラジオ番組の55周年記念かで、電気グルーヴのオールナイトニッポンをradikoで聴いた。
おもしろい…
心底面白くて、…こんな番組もう聴けないのかと思う喪失感。
伝えたいことが沢山あったのに、
そのひとつひとつは何処へ行ってしまったのか。
描き切ってしまったのか、
フタをしてしまったのか。
言ってはならない事ほど言いたいこと。
穏やかな生活のために、私たちはくちをつぐむのか。
テーマを決めて描き進めても、その通りの作品にならない。
思わぬ方向に流動し、絵は意図しない表情を見せ始める。にょきりと出現する。
そしたら抗わず描くしかない。
私の作為より、生まれたい、という絵の意思の方が強いのだから。
昨年末に、初めて人間ドッグを受けてきた。
丁寧な健康診断に婦人科検診、クライマックスは胃カメラ…という具合で、掛かった時間は数時間だったが、三日分の生命エネルギーを使い果たしたような気分であった。
お世話してくださった看護師さんや医師の皆さま方には頭が下がる、優しくしてくれてありがとうございました。
年始には検査結果の通知が来て、それは私を凹ませるにはじゅうぶんな内容だった。
気になったのは聴力で、子どもの頃のケガがそのまま刻印されていて、少しショックだったが、これは私の身体的個性なんだな…と受け入れた。
治しようのない、伴走していく個性。
もうひとつ気になったのは目。
この検査結果には困惑し、早々に精密検査を受けに行ったが、異常無しであった。この上ない安堵の気持ち。よかった……
けど、人間ドッグでも、なぞの症状まではあぶり出されない。
微細な症状は、何か予兆かも知れないが、微細すぎて、説明も出来ない。
しかし、整体の先生は、私の身体を診て、分かってしまうのです、この不調の正体を…!
息が吸えてないでしょう
と指摘され、驚いた。
そう、私は無意識に息を止めてしまっていた。
その理由には心当たりがある。
身体はうそをつけないのだと、どきりとした。
整体の先生に施術してもらったら、深く息が吸えるようになり、身体全体が楽になった。
有り難い。
詰まるところ、ストレス。
ストレスを溜めないでというけれど、
優しさと自己犠牲の狭間で、途方に暮れる。
この歳まで、アンティークとビンテージの違いを知らなかった。
お世話になっているひとの奥様が愛用されていたすてきな指輪を頂いてしまった。
終活だ断捨離だ、で、40年の眠りから醒め、私のところに来てくれた。
センター部分は陶器で出来ているらしい。
上品で可愛いらしいデザインにうっとり。
元持ち主の奥様のお人柄が滲んでくる。
頂けることに恐縮してしまうが、「ものは、持つ人を選んでやって来る」のだそう。
ようこそ、よろしく。来てくれてありがとう。
さあサイズのお直しだ。
御徒町だ。
浪人生だったか、画学生の頃、電車内でクロッキーをしていた。
ハガキサイズのクロッキー帳に、乗客の姿を数分で描く。
健気な画学生は上手くなりたい一心でクロッキー帳をひらく。
電車内で寝ている人や読書している人など。
ぼんやり席に座っている人、吊り革につかまって広告を眺めている人。
目にとまったあらゆるひと。
私はときめきいっぱいでペンを走らせる。
時々、面白がって話しかけてくるおじさんやおばさんがいたり。
時々、描かれていることに気付き、身体を動かさないようポーズを取り続けてくれる優しいお兄さんがいて、軽く会釈して(すみません)と目であいさつしたり。
小さな画学生のクロッキータイムは、電車内で歓迎されている、と感じていたのだが…
その日も電車内でクロッキーに励んでいると、60代位の男性が私の目の前に来て
「この女、絵を描いていやがる…!」と怒り、持っていた傘の先端を私の顔、目に向けて来た。
きっと描かれるのが不快だったのだろう。
描いているのが気に食わなかったのだろう。
私はクロッキー帳を閉じて電車を降りた。
傘の先端を顔面に向けられた恐怖もあったけど、
絵に夢中だった世間知らずの画学生の私は、絵を描くことが歓迎されない世界もあるのだと、そこではじめて気が付いた。
それ以来、電車内でクロッキー帳を開くことは無くなった。
まるで五輪真弓さんが歌う「少女」の歌詞のような気持ち。
カラカラと何かが崩れてしまった。
けどそれは、悲しみではなく、自分の世界しか持ち合わせていなかった恥ずかしさ。
当時、先生や先輩に推奨されていた電車内クロッキーは、もう昔の風景。
電車の中で赤子にお乳をあげる母親の姿くらいの昔の風景。
あるいは、車内で匂いの強いものを食べるくらい非常識なことになってしまったのかも。
時代は変わっていく。
あのクロッキー事件は、私の「節目」のひとつ。
時代の変わり目。
まあ、あんな事が無くとも、昨今の電車内で悠長にクロッキー帳を開く気にはならないけれど。
久々の電車に揺られながら、思い出しました。
雪が降った日の夜はよく晴れて、深夜には月が出ていた。
月は硬く、その光は刺さるようで、息苦しさを覚えるほど。
幾つかのやり残した仕事は持ち越し。
メールすら打てず、久々に憂うつだ。
ホロスコープの出生図の月にトランジットの土星が重なる。
これは占星術の話。
ゆううつだ、ゆううつだ。
天空の星のせいか更年期の到来か。
抗えぬ。
ずっと会っていなくても、
ずっと会話してきたような、そんな錯覚。
絵がしっくり来なくて、色を買い足した。
その色がとてもしっくり来そうな予感がして、
明日描くのが楽しみで眠れない。
そういう手のひらに乗るほどの幸福感や満たされる気持ちをどれだけ見落として来てしまったことか…。
軌道修正。
私には軌道修正するヒマがある。
世間の価値観とは程遠いのかも知れないが。
絵の具ひとつでときめけるなら、私はまだ大丈夫だと思えた雪の日でした。
明日はお蕎麦パーティーだ。
やったー。