2016/07/12
2016/07/08
2016/07/07
あと味
何年も前になりますが、
都内で活動する劇団の
公演のチラシを10年間くらい
描かせて頂いていました。
私が1999年に初個展した時とほぼ同じ時期に
その劇団の旗揚げ公演がありましたので、
共に成長して行くのだ〜!と、
劇団と関わることで夢が膨らんでいました。
しかし長い付き合いにもなれば
色々あるわけで、
どうにか折り合いを着けながら
楽しくやってはきたのですが、
2011年頃だったのでしょうか
最後の最後に、もめました。
「なお、いつもごめんね」
そう言われて、
いつもの苦笑いを浮かべて居ればよかったのでしょうが、
ある時期から
「舐められたくない」という気持ちが優位になりました。
劇団のメンバーには、学生時代の先輩友人もいましたから、
「まぁいいじゃあないの」と
大目に見ることだって出来たはずでしたが、私は
「友人」ではなく「仕事人」として
劇団の人と接するようになっていました。
少し調子に乗っていたのかも知れません。
うるさい画家になっていたことでしょう。
そんな流れの中で、
ついに私の堪忍袋は破裂しました。
とは言っても、
私個人の力ではラチが明かず
共通の大人の知人に仲介をお願いして、
もめ事は時間をかけて「解決」はしたものの、
あと味の悪さは残ってしまいました。
(何故だか感じなくてもいい罪悪感を今だに少々感じております)
「私が我慢すれば…」などと
泣き寝入りして、
仲間として楽しくやっていれば良かったのか、
嫌われても関係が壊れても
「仕事人」の意地をかけて良かったのか、
今でも悩ましいところですが、
私は仲間にウザがられてでも
職業画家で居たかったのだなぁと、
未熟なくせにプロ風を吹かせてみせた
当時の自分を省みるのでした。
当時の自分を省みるのでした。
立場や意識が変わると
人間関係もガラリと変わる。
イヤな奴にも、なる。
現在、劇団名義の公演は打っていないようですが、
メンバーから有名な人も輩出されたり、
ワークショップで若手の指導をされたり、
司会業や役者など、
個々に活躍されていると噂を聞くと、
お〜!と嬉しくなります。
揉め事の最後の処理にあたってくれたメンバーの方は、
過日の個展を見に来てくださって、
過日の個展を見に来てくださって、
そのあっけらかんとした
底抜けの明るさと優しさに救われました。
底抜けの明るさと優しさに救われました。
気不味さを越えて、
よくぞ来てくださいました。
芝居作りに関われる喜び。
ワクワク。
もうあのような「青春」は
体験出来ないかも知れませんが、
演劇人の放つ独特な魅力は
私に力を与え続けてくれます。
負けないよ。
感化
先日、目白にある現代アート系の画廊に足を運び、ある若い作家さんの作品を拝見しました。
その表現は、
一見すると今的な新しい技法、表現で、
素材に油彩を併用されていて
油彩の使い方がとても達者というか、
瑞々しく、心地いいものでした。
(それは作家さんの意とする所では無いことは承知ではありますが)
しばらくその空間に居たいくらいでしたが、
作品を購入しない私が接客をして頂くのは忍びなく、
程々に画廊を後にしました。
あの絵の具の使い方、色彩、
絵画的と申しますか
なんとも好ましい感じで、
大変後味のよいもので、
残ります。
表面的な表現は
自分とはまったく異なりますし、
接点もなさそう?なんですが、
あの絵の具運びから
作家さんの精神を感じ、
ちょっと感化されております。
ネットの画像では見えなかった。
作品は現物を見るに限ります。
かんよう
私の携帯電話の待ち受け画像は
伊集院光さんとその師匠の
ツーショット写真です。
ラジオを聴いているくらいで
特別にお二人のファンというわけではないのですが、
なんだがとても良い写真で、
師匠と弟子の良い関係がうかがえて、
伊集院さんのブログの画像から拝借しました。
だもんで、
ヤフーニュースを見て、
おったまげました。
笑ってしまいました。
しかしながら
落語家や芸術家には
破天荒な人がいてほしい、
それくらいは寛容で居たいかなと…
(おっと、石が飛んできそう)
真面目が肝要です。
今月、若手噺家の落語会に行く予定です。
久々で楽しみです。
北京ちゃんぽんとの再会(予定)
ご存知の方も多いと思いますが、
「北京ちゃんぽん」で名高い
天津飯店は
以前は銀座に店があって、
私は
画廊まわりの帰りに、
自分の個展の帰りに、
たまに通っていました。
最初は羅針盤の画廊主に
「真っ赤なスープの
美味しいのを見つけた」と
連れて行ってもらったと記憶します。
サンドバックのように
ボコボコになった気分の時、
どろどろに疲れ果てた時や
元気になりたい時など
真っ赤なスープの北京ちゃんぽんを食べて、
精をつけていました。
北京ちゃんぽんは量が多いので
意を決して注文していました。
「よし、食べるぞ」と、
心を決めて入店していました。
真っ赤なスープにぞくぞくして
野菜と魚介類がいっぱいで
完食すると勇気が湧いてきました。
「私は北京ちゃんぽんを食べることが出来た。大丈夫だ。」と。
お腹いっぱいで
頭もぼわーんとして、
「なんとかなる」という
緩やかで前向きな気持ちが
押し寄せてきました。
お店の人のちょっと雑な接客も好きでした。
聞き取れない中国語も好きでした。
今にも崩れそうな、
銀座に似つかわしくない外観も
好きでした。
本当に世話になりました。
数年前に
銀座の店が無くなってしまい、
もう北京ちゃんぽんを食べられないのかと、
残念に思っておりましたが、
神田で店が再開されたと
最近知りました。
また北京ちゃんぽんに会える。
しかも神田って、
よく通る道からも近い。
通い始めた当時より
少しは知恵も付いて
おかげさまで美術の世界に
居座り続けておりますが、
「北京ちゃんぽんを食べるぞ」
っていうあの気持ちは
私の初心のひとつです。
(さあ、いつ食べに行こう)
2016/07/02
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