2016/04/28

ノンバーバルコミュニケーション




友人の舞踊を見に行った話とか、若冲展を見に行った話など、楽しい話題ばかり書いておりましたが、実はこれは「反動」というやつで、その週私は、厄介な事件に遭遇していました。
制作に集中出来ないほどで、なんでこんな事のために私の時間を割かなければならんのか、まったく腹立たしく、かと言って無視できるものでもなく、私はその厄介な事件と向き合わざるを得ませんでした。(この修羅場は避けて通れば繰り返す、とも思いました。)

腹立たしさ、恐怖、色々な感情に見舞われつつ、対策を考えました。
それで私は、声に出して自分の言いたい事を大きな声で独り言で、言ってみたりしました。
相手に直接言うのは怖かったりするから(こっちが迷惑被っているのに‼︎)、ひとまず独り言として、しかし大きな声で言ってみました。(イタイとか言ってる場合では無かったのですよ)

すると、
モヤモヤが若干軽減されました。
私はこんな事を考えていたのだな、という事が分かりました。
そして、実際は怖くて言えない臆病具合も自覚しました。

さらに、時間が経つにつれて、私の考えも変化してきました。
こんな場合だったらどうか、
どんな言葉をかけてやれば相手に響くか…など、厄介な迷惑事に、少し寛容な気持ちが芽生え始めました。

ただ…実際の私の対応は、「もっとも冷たい態度を示すこと」でした。
そうしようとしたのではなく、そうなってしまったのです。
私はこんな時、こんなに冷たい人間になれるのだ、こんなにおっかない人なのだ、と発見しました。

↑…さっぱり意味の分からない作文ですが、つまり、事件をきっかけに私は私の性分を発見しました。
さらには、人は言葉より、目つき、声の調子、しぐさ、雰囲気などの、ノンバーバルなコミュニケーションの方が優位なのだという事がわかりました。
特に、眼と声は、豊か過ぎるほど心を伝えてしまうと実感しました。



ちなみに、
私が独り言で言って見たことは、

「信用出来ない人とは仕事したくありません!」

でした。

時間が経って少し寛容な気持ちになった時は、

「自分を粗末にしてはいけないよ」

という言葉が浮かんでいました。

しかしながら、結局私はノンバーバルコミュニケーションで「キミとは仲良く出来ない、軽蔑する」というメッセージを示したのでした。

残念な出来事でした。

できれば温かで優しい念を放つ時間の方がより多い人生で有りたいものです。


声…声のお仕事をされている人、歌手、声優、ラジオパーソナリティ、落語家…を尊敬する気持ちが増しました。
声の調子に、ひとがにじみ出るからです。

絵画もノンバーバルコミュニケーションですね。
制作に集中します。