2020/06/27

神田日勝




浪人時代、予備校の講師から

「あんまり教えたくないんだけど」と

前置きされて、

「参考になるから」と教えてもらった

画家の名は、神田日勝でした。

 

高揚しました。

私は神田日勝がどんな画家で

どんな絵を描くのか調べるため、

池袋の大きな書店に足を運び、

美術書のコーナーで

「神田日勝」を探しました。

 

いくら探しても図録は無かったのですが

美術年鑑のような雑誌から

「神田日勝記念美術館」の存在を

探し当てました。

当時はインターネットが無かった()ので

手間を掛け時間を掛け、

本屋でそれを探し突き止めた瞬間は、

たいへんエキサイティングで

ドラマチックな体験でした。

 

神田日勝記念美術館の住所は北海道。

北海道に行きたい。

北斗星という夜行列車に乗って

北海道に行こう。

私は北海道に行く計画を立てました。

 

行けませんでした。

浪人生、お金も勇気も時間も無い、

と言い訳して、

思い切りのいい行動に出れない

小さな自分を少々情けなく感じました。

 

しかし浪人生、

図録を美術館から取り寄せることにしました。

美術館に電話を掛け、

図録を2冊取り寄せました。

少しだけ苦労して取り寄せたその図録は

私にとって秘宝。

 

衝撃を覚えました。

そして深く感動しました。

 

当時19か二十歳の私は、

先ずその技法にクギ付けになりました。

絵の具そのものが

モチーフの質感を表現する様子や、

鮮やかな青や赤の差し色の使い方、

ナイフの使い方や画面構成…。

 

穴のあくほど図録を眺め、

研究し真似をしました。

(もちろん馬ではなく人を描いていました…)

 

私にとっての神田日勝は

「浪人時代に出会って、

その技法に魅了され影響を受けた画家」

でしたが、

 

20206月。

東京に来てくれた神田日勝展を

ステーションギャラリーで拝見して、

認識が一変しました。

 

馬が描かれた作品を観て、

19歳の時分には感知出来なかった

とてつもない何かに圧倒されました。

 

当時も大好きだった馬の作品は、

迫力があり圧巻でした。

あの頃は

技法にばかり目が行っていましたが、

もっと深いところで、

この作品群に惹きつけられていたと

時を経て気付きました。

 

この時世、入場制限があり

チケットを事前予約せねばならず、

少々手間と時間を掛けて

ステーションギャラリーに

足を運びました。

 

東京で実物を観れたことに、

深く感謝しています。

 


2020/06/21

展示会予告とコロナ対策




7月中旬ごろ、
展示会を予定しておりますが、
自粛は解除されたとはいえ
蜜になる状況は避けたく、
対策をとる考えでおります。

マスク着用などはもちろんですが、
多数のお客様にDMを送るのを
作家側は控えたいと考えております。
積極的なご案内を控える方向です。
画廊からの案内をお待ちいただければ
幸いです。
何卒ご理解賜りたく存じます。
よろしくお願いいたします。

門倉




2020/06/20

学生時代の挫折のこと



高校卒業の時、

美大芸大の全ての受験に落ちた私は

まったく自信を喪失していました。

 

それまでそこそこ、

それなりにやってきたので、

人生初の挫折に呆然としていました。

浪人するつもりがなかったので、

その状況を受け入れられず苦悩し、

ぼんやりと世界を漂っていましたが、

浪人生活は思いがけず楽しいものでした。

通っていた研究所(予備校)の仲間のおかげです。

そして受験絵画を頑張りました。

 

ひとつ技法を獲得すると得意な気になりました。

絵よりも、我が前に出るようになりました。

頑張ることに酔ってしまって、

作品がまったく見えなくなりました。

絵を描くじぶんはとても特別なのだと

勘違いをして、

謙虚さをすっかり失っていました。

 

冬を越え春を迎え、

芸大の合格発表を見に行って

自分の受験番号が掲示板に載ってないと分かった時、

とてつもない巨大な拳に

頭をぶん殴られたようでした。

現役時のそれとは比べ物にならない程、

強烈でした。

私は予備校の仲間と共に

呆然と立ちすくんでいました。

掲示板を何度見ても

じぶんの番号はありませんでした。

 

頑張って頑張って、クラッシュ。

 

私の中ですくすく育っていた傲慢な心は

「不合格」のおかげで打ち砕かれ、

再起不能なほど落ち込みました。

 

何も食べられなくなりました。

と思ったら、今度は過食。

太らない体質の私が太りました。

身体が重くずっしりと感じた時、

私ではなくなってしまう感覚、

身体を乗っ取られる感覚があり、

これはまずいと、

二浪することを受け入れ

再び受験絵画をがんばりました。

 

2年目ともなれば、

さすがに絵も上手くなってきましたが、

少々投げやりな気持ちもあり、

賭けのような受験を選択しました。

もう精神が追いつけなかった。

自分で選んだ道にもかかわらず、

受験絵画から解放されたかったのが

正直なところでした。

 

また春を迎えました。

私は「滑り止め」で受けていた

少人数の美術専門学校の入学式に

屈辱と安堵の気持ちで出席していました。

劣等感でいっぱいでした。

それを悟られたくなくて、

先生に笑顔で挨拶して校舎に入りました。

 

年下の同級生の無邪気さは、

私のアンビバレントな感情を刺激しました。

とても優しく接してもらえました。

「ふつうの学生」気分を味わいました。

 

私は在学中から作家活動を始めていました。

それが私の光でした。

画業が私を精神的に支える軸になりました。

 

しかしながら、

浪人時代に培われた私の生意気な態度は

優しい同級生らを傷つけ、

最終的に私は孤立しました。

当然の結果でしょう。

プライドばかり高くていやな奴と

誰が友達になるというのでしょう。

 

そのおかげか、

私の居場所は作家活動をすることで

獲得していくことになるのでした。

 

入学式の写真は笑顔。

卒業式の写真はブスッつら。

私のアンビバレントを

見事に表現してくれていました。

 

様々な挫折は、

現在の私につながる人生のスタートでした。

未熟さゆえの苦しみは、成長の苦しみと

今は見ることが出来ます。

ちゃんと過去になっていきます。

書いて「物語」にすることで清算できます。

 

 

新社会人編はまたいつの日にか。

社会人になってからのほうが

もっと大変だけど楽しいです。

 


2020/06/19

中年の危機について




最近、色々考えすぎなのか、

調子が芳しくなく、

なぜ私はこれこれこういう状況に

身を置かねばならぬのか?と、

自らに問うていたら、

なるほど。

 

いま独学で占星術を勉強しているのだけれど

ある星の配置が効いているようで、

言うなれば「中年の危機」。

 

なるほど、どうりで、と納得したら、

元気が出てきて体が楽になってきた。

ならばこの状況を受け入れようと

気持ちがサクッと切り替わった。

闇雲に嘆いていたのが

これが中年の危機か、味わっておこう

と多少余裕がでてきた。

 

「ホロスコープ」は「人生の設計図」らしく、

占星術を勉強することは羅針盤になると感じる。

じぶんがどういう状況かを俯瞰で見るのは大事だ。

縁があったら、プロの占星術師にみてもらいたい。

 

それにしても、「中年」か。

受け入れるとしよう。







 





肉体が無くなった後の縁について


 

知人のAさんが亡くなって、

そのご家族の経営するお店にご挨拶に伺った。

生前Aさんは

ジュエリーや古着などを扱う仕事をされていて、

Aさんのご家族はそのジュエリーのいくつかを

私に見せてくださって

「持って行って」と勧めてくださった。

 

私が頂いてしまっていいものか、

もっともっと親しくされていたお友達は

たくさんいらっしゃるのに、

私なんぞが頂いてしまっていいものか。

とてもとても恐縮してしまったが、

シルバーの指輪がとてもステキで、

「いいんでしょうか、いいんでしょうか」

と戸惑いながらも、

指輪を試着させてもらったら、

すすすすす…っと指に吸い付くように

フィットしたものがあって

「なんだ、なんだこれは!吸い付く!」と驚いて、

その指輪は抜けなくなってしまい、

そのまま頂くことになった。

 

「いいから持ってきなよ!」と

Aさんの声が聞こえ、るようだった。

 

Aさんとはほんの数回会話を

交わしたくらいだったけれど、

とても印象深い女性で、

ほっそりとしていてオーラの強いひとだった。

思いがけず指輪を頂いて、

心理的なタイミングなんかもシンクロして、

妙な縁を感じずにはいられなかった。

肉体が無くなったあとにも、

魂と縁することが出来るのだ、と

発見した気になったが、

美術や文学、音楽もそうじゃないか。

 

作品は時空を超えて誰かとご縁していくのだと

作り手として静かに希望が湧いた。

 

結局、ふたつも指輪を頂いてしまった。


2020/06/09

6月になって




「とても大変」であるはずの自粛で、

不安でしたが、

図らずも「理想の生活」に近い状態を体験してしまい、

堂々と引きこもっていられることが

正直ラクにも感じていました。

イライラすることが激減しました。

これは発見でした。

 

こうなると、生き方、働き方、

元通りにはいかないでしょう。

作品にも当然変化が。

いよいよという思いです。