2021/01/31

エゴサ!

 展覧会時にエゴサーチなど不粋と思って今日まで控えてきましたが、この状況禍ではSNSでお客さんの反応を伺うしかなく、今更ですが真剣にエゴサを始めました。

そうしましたら以前の展示のご感想や画像を上げてくださっている方々を発見しまして、誠に有り難く、小さなプライドなど捨ててさっさとエゴサすれば良かったのだと、しんみりしておる次第です。

有難うございます。

そんな訳で、私は「寄り道」から戻ります。

先の寄り道- 姉さんと私-にお付き合いくださいました皆様に深謝申し上げます。

ありがとうございました。

そしてただいま。

描くで。



2021/01/29

嬉しいこと

 ちょっと嬉しいことがあった。

私淑する人とほんの繋がりを持てた。

そしたら色々なつじつまが合って、「分かった」

きらいな人に好かれようとするからチグハグが起こるのだ。

好きなひとに見せても恥ずかしくない絵を描けば私は私の人生に納得できるのではないか。

ともかく嬉しかった。



2021/01/28

折り合い

 緊急事態宣言中に、イレギュラーな内容の展示をさせてもらっています、門倉です。

今回の展示は、自分の作品と距離を置くための策でもあります。

そして、思い切り描くことで、発散も出来た気がします。

私の寄り道にお付き合いくださって有難う御座います。




作品と自分がどう在りたいか。

年中確認していないと、惑わされブレる。

作品は売れたほうがいいけれど、それを追ってしまうと、絵画制作の本質を見失ってしまう。

しかしながら売っていかなければ、制作が出来なくなってしまう。

天衣無縫に描き切り、それが極めて自然な形で欲しいと思ってくれる人に買ってもらい、生計が成り立つ。それが望ましい。

今、油彩に戻り、取り組んでいます。

私の目指す絵画を体現していきたいと思います。



2021/01/20

せめて絵の中

 華やかであればあるほど刹那的で、

元気な姿を表現すれば、寂しさが増す。

笑うことで悲しみが表現されてしまう。

せめて絵の中では、可愛い着物を着て足袋を履いて、いつでも「お出掛け」出来るように。

せめて絵の中では、愉快な時間を楽しんでいられるように。

なんて、

「姉さんと私」は、

通りすがりの絵描きの「余計なおせっかい」

かも知れません。








引き続き、お楽しみください…!



2021/01/09

寄り道「姉さんと私」によせて

 門倉直子の寄り道〜姉さんと私〜


連作「姉さんと私」は、浮世絵や史実を元に描いた「おいらんとかむろの物語」です。

華やかなその世界は、非日常的でありながら、日常。そこに生きる人たちの心情に光を当てたいと思いました。

「過酷な状況であっても、日常のときめきは、きっとあった(あってほしい)」

掻き立てられるような気持ちで描いた今作を私の絵画に必要な『寄り道』と、位置付けました。



2021/01/05

あけましておめでとう


あけましておめでとうございます。


お正月は近所の神社へ初詣に行ったくらいで、どこへも出掛けず、こもって制作していました。正月明けて久々に駅前まで出掛けましたら、街の空気は2021年にシフトされていて、私はこの数日の正月で、私の時間と街の時間に「ズレ」を作ってしまったことに気付きました。街を歩きながら、私の肉体と精神がみるみる2021年に更新されるのがわかりました。ワープ、でしょうか。全てが、2021年になっていきます。



















ここ最近、「時間が消える感覚」があることに気付きました。例えばウトウトと寝そうになる時や、制作に没頭している時、自分が何者かさえうっかり忘れてしまうような「間」があることに気付きました。それはとても気持ちが良い「間」なのですが、帰って来れなくなるような、宇宙空間に放り出されるような心細さもあり、怖くなって大抵は引き返すんですけれども。恐らく私が「魂」で居る時間なのではと考えます。日常生活が借り物の様に感じて、なんだか怖くなります。


毒にも薬にもならない話で御免なさい。


「これ!」と言える作品を「これでもか!」という程、制作していく、毎年同じような目標です。こんな状況ですが、発表の場も増やしていきたい。


今年もご指導よろしくお願いいたします